中庸が目標

日記系になるのだろうか。予定は未定。 発言したいときには発言できないと。

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目標

先日、

3年後の目標は? 10年後の目標は?

と友人と話していたのだが、答えられなかった。 日頃からあれこれ考えていたつもりだったのだが、いざその場で即答できなかったことに、少なからぬショックを覚えた。

自分はこの3年後、10年後の目標を持つには、自分の人生の目標がなければ持てない、と考えている。 その人生の目標とは何か。 よく言われるのは

  • 自分の葬式で、皆にどのように言われたいですか?
  • 余命1年だとしたら、何をしたいですか?

などがある。 残念ながら、どれもヒットしない。

まず、自分の葬式は行われないことを望む。 自分という存在がそもそも無かった、という風に認識されていることを望む。 その人の死を認識されるということは、その人の存在を他の人が認識していた、ということだからだ。 そして、その自分の死を通して、他人に建設的な行動を促せる例を寡聞にして知らない。 自分は、やるなら効率的に、"Do more with less"。 他人の行動へと働きかけることができるのなら、それも例外ではない。 しかし、自分が死んだ後に他人が無したことを、自分が享受することもできない。 よって、それは意味がない。享受できない(=機能しない)コトを成し遂げても、それはなんの意味もないからだ。自分にとって。

そして、余命1年だったとしたら。 特に何もしない。 今まで通り、本を読み、それを一端自分の思考(フィルタ)を通して、自分なりの解釈をする。 そしてそれを無理矢理アウトプットする。 アウトプットするのは、その行為によって、自分の理解が更に深まるという体験をしたからだ。 その体験をまたしよう、と目論んでいるからだ。 それだけだ。 それ以上に願望は無い。

さて、以上の記述で、自分の人生の目標を現在持っていないことを説明したつもりだ。 まだ、他にも目的へのアプローチ方法はあるだろう。 それは自分の勉強不足ゆえにまだ知らないのだろう。 そのような別のアプローチ方法を知っていて、このようなニートをいじることに興味のある暇人は、コメントしてみるといいよ。 べつにメールでもいいけどね。

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良く分からないが、とりあえず動いてみる。 それで、ある程度時間を過ごしてみて、自分の認識できる世界を広げ、またその都度軌道修正してみる。 そのような方法もあるだろう。 一歩間違えれば、ひたすら走り続けるネズミになるが。 まぁ、本人がそれで良いのならそれで良いのだろう。 僕に関係のある話ではない。 確かにこれはGTD的な手法ではある。 しかし、GTDでもパースペクティブという一貫性が求められている。 それはそれぞれの高度でのオープンループの目的が一致しているか。 より高い視点で見たときの目的に貢献できるようなプロジェクト・タスクを設定しているか。 ということだ。 それでなければ、いくら能率的にtodoをこなしていったところで、自分の求める状況には近づけない。

という頭でっかちな独白でした。

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