中庸が目標

日記系になるのだろうか。予定は未定。 発言したいときには発言できないと。

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今年は“3D”でマンタに会える――銀座ソニービルで「ハイビジョン沖縄美ら海水族館」 - ITmedia +D LifeStyle

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戦闘機じゃないんだね。ごめんよ。
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なんか、なんか

土曜からなんか、変にハイテンションです。ハイテンションというか・・・やっぱりハイテンションですね。

体は疲れているのですが、なんとか動ける程度。まぁ、悪くないコンディションなのかもしれません。なんとか研究室で肉体労働もできてますし。ふむ。

柔術とかグラップリングとか打撃とかの練習が全くできないのですが、それでも体重は落ちるばかり。夏バテでしょうか。

で、このハイテンション。理解できません。近いうちに落ちるんじゃないでしょうか。

関連なし?

「異常行動とタミフルと関連なし」と出たようです。

・・・関連なし?・・・関連ある?関連があるとはどういう意味でしょう。関連が無いとはどういう意味でしょう。

タミフル摂取/非摂取者&&異常/非異常行動者の数の2*2のマトリックスでどのように処理したんでしょうかね。

  • t.testかな
  • タミフル非摂取の割合をベースとして$\chi^2$検定でも行ったんでしょうかね

条件としてはPositive/Negativeの2項分布で、大数による近似で正規分布を仮定・・・あたりですか。

厚生省からこのようなデータがDLできるようになりませんかねぇ。データフレームで遊べるなら存分にいじりまわすのですが。

個人的には政治的効果よりも統計で遊べるほうがとても興味深いのですが。というか、データは自分がいじってナンボですね。トラッキングできない結果を出力されても遊べませんし。をもらっても迷惑ですかそうですか。

ともすれば水は低きところへと流れる

論理療法というものの中に、ABC理論というのがあるそうです。 なんでも、人がストレスとして感じるのは、何かコトが起きるからではなく、起きることに対してその人は「こうあるべきなのに…」というようなギャップを感じるから不満を覚える、というものだそうです。 で、その「こうあるべきなのに…」が妥当なものかどうかをチェックしてみましょう、思い込みであることが多いから、という話のようです。 ここで、妥当かどうかというのは、論理的/合理的か、感情的でない/思い込みでない、という判断のようです。 で、合理的でない「こうあるべきなのに…」という信条をイラショナル・ビリーフと呼ぶらしいです。 くわしくはなんか調べてください。

まぁ、そんな視点で見ると、結構不思議に思えてきます。 自分の目の中の梁には気がつかないのですが。

ABC理論使ったら、言い訳したい放題じゃん、とか。 何やっても「○○という点で評価できることがある」とか。 「この一点のみで全否定されることはない」とか。 いや、まぁ、この理論というかこの療法の目的は、そういったイラショナル・ビリーフによる自己全否定を緩和、もしくはその否定の土台を否定しようとすることなので、あたりまえといえばあたりまえなのですが。

そんなことを考えていたら、「人間は感情を持っていなくてはならない」という信条は論破されるべきイラショナル・ビリーフなのか、ということに思い至りました。 「人間は感情を持っている唯一の存在である」とか「感情こそが人間の人間たる所以である」とか言われてそうですが。どうなんでしょうね。 他の存在に感情があることを示せていないだけなのかもしれませんし、感情が無い人間を例示することで反証できるわけです。 まぁ、後者の場合は何を人間と定義するか、という話になってしまうのですが。

それに、そもそも自分の信条がラショナルである必要があるのか、という理論自体への懐疑がありますし。 まぁ、その場合、

どちらであったら便利?

というような使い方になるわけですが。 所詮、理論は道具ですし。 現象をモデル化して説明するための。 科学というのも、科学的手法(狭義では要素還元主義)を聖典(キャノン)とする宗教ですし。

ま、なんでもいいんじゃないでしょうかね。 という自堕落な結論になってしまいました。 はい。

そういわれましても

ガツガツしてないとか言われます。 別の言いかたでは、覇気がないとかとも言われます。 いや、言われていました。 最近は、あまり人と関わっていないので他人がどう言っているのか良く知りません。

そんなことないんですよ。 結構ガツガツしてます。 ただ、(多くの人がガツガツしていると想定していること)にガツガツしていない、という話なだけです。 皆がマークしているものとは別のモノにガツガツしているだけなのです。

たとえば、「電車とか乗り遅れそうでも、走らないでしょ。のんびりしてるね」とか言われます。 まぁ、のんびりはしているように見えるのでしょうが。 その場合、僕の中では $$ (走って電車に飛び乗り節約できる時間に対する満足感) < (のんびり歩いて一本電車を待って得られる満足感) $$ な評価をしている訳です。 いや、この場合、満足感ではないから、 $$ (この電車に乗るために走らざるを得ない場合の必要投入コスト) > (次の電車でいいや、という判断によって被るであろう事態に対応するために必要と予想する投入コスト) $$ という評価をしている、のだろう。 どちらかというと、満足感よりかは必要と推算する投入コストの計算の方が多いのかな。 現在、投入コストと表現しているリソース(資源)が自分の中では特に枯渇しているので。 昔から多い訳でもなかったし。 特に興味の無いことに関しては。 興味の無いことだから、どうしたって満足感は0なんです。 それにどれだけのコストを投入するか…なんて、愚問でしょう。 価値を見出していない市場に資源を投入する企業があるでしょうか。

相変わらず自分はメリット/デメリットで評価するパラダイムから脱却できていないのですが。 そこは何も進歩していないわけですね。

何が言いたかったかというと、「人によって目的関数が違うだろうからね」ということです。 人が「君には欲が見えない」とか言われても、それはその人が想定している欲に対して自分の重要度評価が低く、 別のもの、その人が重要とは考えていなかったもの、予想すらしていなかったものが自分にとって重要である、という評価をしている。 そんなことで説明できます。 そして、その目的関数はどんな形であっても良い訳です。 で、その目的関数はどうやって決まるか、ですが、それは知りません。 その人の価値観、とでも言っておきましょう。 自分の目的関数ですら、自分の何から導出できるか、なんて分からないのですから。僕は。

なつかしや

ちょっと7kmほどジョギングをして汗をかき、風呂に入ってからのことです。

フェデラー対アンチッチの試合を見て、ザッピングしていたら、懐かしい絵があるじゃないですか。そうですよ。 スレイヤーズRですよ。 相も変わらずアニメアニメした塗りが好きな僕としては、懐かしい限りです。 そしてそのキャスト陣が変わっていないことも。 あー、懐かしい。

マンネリだなんだかんだいっても、この安定感は特筆モノです。 安心してみていられます。 あとは、セイバーな子安さんが出てるとおもしろいか、な。 いやしかし、それではスレイヤーズではない。 神坂一ワールドではなく、あかほりさとるワールドになってしまいますものね。

その後番で、「我が家のお稲荷様」というタイトルを見たときに、思わず、「残念、それは私の・・・」とか連想してしまった私はダメですかそうですか。ファンからは殺されそうですね。

そういえば、今回最後にドラグスレイブを放った小動物(当方「めそ」と呼称)はなんなんでしょうね?あのジッパー。 田舎のねーちゃんの使い魔あたりなんでしょうか?

そういや、今回のキャラ紹介にはナーガは入っていませんね。ま、いいか。

懐かしいなぁ。 久しぶりにTokyo Boogie NightやHeartful Stationとか聞きましょうかね。 ひょっとしたら、どこかの神が保存しているかもしれませんね。 いや、保存しているといえば、深夜の馬鹿力とか銀ほえとかも聞かないと。 最近は薔薇色天獄とかもきいてないし。ふむ。

まぁ、いいや。 さて、明朝発表用の資料を作りますかね。

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