中庸が目標

日記系になるのだろうか。予定は未定。 発言したいときには発言できないと。

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アウトプットしてますか

DESIGN IT! w/LOVE間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか? で非常に意味のあるエントリがあった。 すごい勢いで要約するために、こんな文章を引用することにする。

なんで間違えることをそんなに気にするの?
そもそも時間をかければ正解が出せる根拠があるの?

この文章につきる。 なかなか考えさせられる内容だ。 たしかに、時間をかければ大丈夫、と言えるだけの自信はない。僕には。

更にそこのブロガーであるところのgitanezさん曰く、

自分の意見を言いたいと思っているのに、
誤りを恐れるあまりに躊躇してしまうことがある人に対して、
そんな必要はないよということです。

とか

僕がこんなエントリーを書いているのは、
自分の意見を言うということは、
もちろん自分のためでもありますが、他人のためであり、
社会のためでもあるということを認識してほしいからです。

とも書いている。

僕は上の「アウトプットする際、あまり躊躇しなくていいよ」という主旨には賛成する。 状況さえ許せば、むしろ状況を過剰に評価しないで客観的に評価して、 できるだけ冷静に必要な場所で必要な役割を果すほうが良いと思う。 ちょっと勇み足でも現在ではまだ歓迎したいところだ。 あまりに意見が増えすぎたら、「もうちょっと考えろ」と思うのだろうが。

ただ次の、「アウトプットするのは社会のためでもある」ということにはちょっと首を傾げる。 結局は自分のためじゃないだろうか。 どっか社会の、社会のなかの誰か他人を経由して、まわりまわって自分のところに還元される。 そういうことを上のように表現したのかもしれない。 もしそうなら、このエントリは必要なかった、ということですね。

それにしても、僕は自分のメリットにしか興味がないのです。 これはおかしことなのでしょうか。ひょっとしたら僕はおかしいのかもしれません。 ただ他人のメリットのために動く気になれないのです。 ただ社会のメリットのために動く気になれないのです。 なぜなら、僕の興味は自分のメリットにしかないから。 もちろん、他人や社会を経由して享受できる自分へのメリットは興味があります。 そこまで計算して行動することは当然でしょう。 でも、ここで主張しておきたいのは、あくまで自分のメリットのために動く僕という存在です。

ま、そんなことを考えていました。 こういう刺激してくれるエントリなどの存在はありがたいですね。 まず第一にその著者にメリットをもたらし、プラスアルファとして僕などの他人へ、社会へと刺激というメリットを与える存在は。 そこには感謝します。 利己的な僕が享受できたメリットですから。

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書けないときに書き始めるために

When You Can’t Get Started Writing の記事を読んで。

この記事は書き始めるにあたっての作業を小さなステップに分解してくれている。 困ったときに助けになるだろう。 また、困ってなくても読んでおいて損はない。

記事はビジネス文書のみを対象にしていると書いているが、一般的な手紙などでも十分使えるものだろう。

で、例によっていくつかのTipsが例示されているので、その部分だけ超意訳して示しておく。 詳しいことは本文を読んでほしい。

  1. この手紙で何がしたいのかを決める
  2. まず読み手に目的を知らせる
  3. それに至る状況を把握する
  4. 読み手に何を言いたいのかを知る
  5. 言いたいことを論理的な順番でまとめる
  6. 手紙で結びの前に、もういちど目的を繰り返す
  7. ミスがないか見直す
  8. 手紙が長すぎないか見直す
  9. コンピュータ上で自由に編集できる現在ならでは、な凡ミスがないか見直す
  10. 一旦わきに置いといて、一息いれてから見直す
  11. その手紙で自分の目的が達成されているかもう一度見直す
9.のコンピュータで編集できる現在ならでは、なポイントは一見に値する。

僕は修道僧になりたかったのか

ちょっとブラウジングしていたら、 「自分は修道僧に、それも錬金術師になりたいのではないか」 ということに思い至った。

そもそも錬金術師というか学問は、宗教で作られた環境でしか修めることができなかった。 だから錬金術師の大くは宗教関係者だというのだ。 宮廷おかかえの錬金術師というのは後になってから増えたのだそうだ。

まぁ、宗教関係者というのは都合が良い。 世界との(世俗との?)接点を持たない、という点において。 そして、余分なことをしようとすることは、罪として罰せられる、という点において。 宗教で認められたことのみに没頭していれば良いのだ。

錬金術師になるにはある程度の条件が課せられる。

  • 資質に恵まれている
    • ギリシア語、ラテン語、アラビア語などをマスターしている(文献を読むため)
  • 経済面で恵まれている
    • 実験機材を用意するため
    • 実験の材料を用意するため

現在における錬金術師は研究者なのだろうか。 でも研究分野の選択があるか。 昔とくらべれば実験機材や実験道具などの条件は楽になったに違いない。 また、必要とされる知識も少なくなったに違いない。 今もあいかわらず言語の知識は必要、か。 簡単になったのは神学的な意味付けの必要がない、くらいのものか。

そういえば僕はなぜ錬金術師になりたいのだろうか。 思い付く理由は

  • 世界と接しなくてすむ
  • 自分の世界だけで生きていける
  • ひょっとしたら、何かを知ることができる

それくらいだろうか。 だから、何か別の物質から金を作る、言葉通りの錬金術に関しては興味がない。 また、それに必要とされる特別な物質を所有することにも興味はない。 つまり、自分が知ること、自分が快適に暮らすことを主たる目的としているようだ。

まぁ、あとは、教養という意味でギリシア語、ラテン語、アラビア語を修得したい、とかは思うが。 これは手段と目的をとりちがえている。 僕の場合は単なる収集癖の一環だ。 ただ知りたいだけだ。 言語スキルを集めているに過ぎない。

何度も言うが、どうやら僕は自分の世界だけに留まっていたいだけのようだ。 それが僕の願望らしい。 だから、つっついてくるものは全て僕の野望を邪魔するものとして認識するに違いない。

あれ? 結局、宗教に現代社会を代入したら同じ構造ができあがるではないか。 現代社会が認めること(仕事、もしくは経済的に自立すること)のみに邁進する人間。 それができない者達は、できそこないとして処理される。 まぁ、あたりまえだわなぁ。 人の能力には、出来不出来には分布があるから。 能力と言った時点で、その定義に習熟度や上手さといったカテゴライゼーションといった意味が(前提として)内包されているのだから。

つまりあれだ。 今回たまたま僕が宗教関係者になりたいとか、錬金術師になりたい、と思ったのはたまたま自分の興味に合ったからだけなのだ。 そこに何の必然性もない。 ただ偶然、興味あるものと想像した研究対象とが近かっただけなのだ。 社会で働くことと錬金術を修めることとは構造的な違いはなかったのだ。

おかしいな。 こんな結論を書く予定ではなかったのだが。 はて。

エゴグラムによるあなたの性格診断結果

そういえば、自己紹介をしたことがなかったなぁ、と思いました。ここは簡単なテストで「俺はこうだぜイエーイ」という紹介をしてみましょう。
今回テストに使ったサイトはこちら。
エゴグラムによる性格診断

で、診断した結果がこれ。

エゴグラムによるあなたの性格診断結果

  • 性格

  • 分を含めた周囲の人々や社会に対して、常に怒りや批判の目を厳しく向けているタイプです。しかし、性格の中に気弱で神経質な面が大きな位置を占めているた
    めに、面と向かって他人や社会に反発する事が出来ず、自分の不甲斐なさや、社会の理不尽さに対する怨念が、自己の内面へ内面へと逆行して行くタイプです。
    冷たく抑揚の少ない心情の持ち主であり、人生を楽しむ心の余裕などは殆ど無く、出口のない灰色の迷路を奥へ奥へと辿って行きます。自分の将来が見え過ぎる
    ほど見える判断力の高さが、返って自己嫌悪を高め、周囲の人々に対して意に添わぬ愛想を振りまいたりする自分に、言い知れぬ厭世観を抱くタイプです。

  • 恋愛・結婚

  • 付きと頭の芯だけは燃えていても、心と身体はちっとも燃えて来ないタイプですから、恋愛や結婚に対して、特別の夢や希望の湧いて来ないのも道理です。異性
    を観念的に捉えて、冷ややかに見据えますので、目鏡に適う相手は限られてきますし、それほど厳しく冷たい批判眼に堪え得る程の優れた相手なら、何も好き好
    んで虚無的な感じのにじみ出ている貴方など、相手にする必要が無いわけです。いずれにしても異性には歓迎されない孤独なタイプと言う事が出来ます。今後、
    人生観を大幅に変え、世間を明かるく楽しいものだと感じるように成れなければ、行手に待ち受けているものは、灰色の人生であることを覚悟しなければならな
    いでしょう。

  • 職業適性

  • 格的に見て、人間が相手の職種では自家撞着や対人軋轢に圧し潰されてしまい、心身症や本物の精神病にまでなり兼ねません。それかといって、エンジニアやコ
    ンピュータ技術者のようなメカが相手の職業では、孤独感が益々募って、性格破綻の進む可能性が高いのです。理想的なのは、自然や小動物が相手の職業です。
    例えば、農林、漁業従業者とか、愛玩小動物商(ペット商)などが考えられます。

  • 対人関係
  • 人付き合いの方法を小手先で修正するような、一時的な間に合わせでは、どうにもなりません。自然や動物に親しんだり、絵画や音楽などの芸術に親しんだり、宗教心を養ったりして、人生観や物の価値観そのものを、もっと有情なものに修正して行く必要があります。

    ・・・人間的に欠陥ありですか。そうですか。

    越えられない壁

    「ご主人様、こんなニュースはいかがですか?」Watch萌えバージョン開始

    ・・・分かってない。物事の本質が。主体的な幸せが何かと言うことが。大事なのはシチュエーションですよ。百歩譲っても、衣装までです。描くときの参考資料になるはずですから。○○なんて飾りです。

    大事なのは2Dである、ということです。え?今話しているのは僕の属性についてですが。何か問題でも?必要があれば脳内変換するから、材料さえあればいいんじゃないでしょうか。

    生存信号

    12日にぶっ壊れて、19、20にちょっと無理したら再度ぶっ壊れて今日まで寝て過ごしてました。 なかなか馬鹿です。自分は。

    結局、保健室の先生と面談することもできず、ドタキャンしてしまいました。 また予約をとるところから再スタートしなければなりません。 面倒臭い。

    ここで保健室の先生と書いて、魅力的な女教師を妄想して、そんなわけないだろ、と一人ボケツッコミを入れようと思ったのですが、問題が生じました。 僕の属性は2次元限定なので3次元での妄想はシチュエーションの写像に過ぎない、ということです。 要するに、幸せでない、ということです。 いや本当は、担当の先生は男性でわくわくしない、というのが根本の問題だと思うのですが。 2次元の求道者としてそんなヌルいことを言っていてはいけないようです。 仙人みたいな生活を送るのもなかなか難しいようです。 皆が憧れるだけのことはありますね。

    明日は臨時のフランス語レッスンの予備日。 はたして行動できるのか。

    そういえば、某ブログのエントリー をきっかけに何かを思い出し、今更ながら無限のリヴァイアスを観はじめました。 7年くらい経つのに、色あせません。 あの頃はOPとEDを見るだけでも十分刺激的でした。 何度か見逃してしまってから見るのを止めてしまったのを後悔しています。 まぁ、今、こうして観ているのでいいですが。 科学技術万歳。

    上のブログでは、この他にも魅力的な楽曲を紹介しています。

    • A night comes!
    • 月のワルツ

    良い選択ですね。 趣味が重なってます。 ひょっとしたら波長の合う人なのかもしれません。 シャイボーイなのでコメントに書くこともできませんが。

    ここまで自分なりに自分で読み返したのですが、自分は狂っているようです。 かなり。 ま、狂っているなりにとりあえず動いています、ということで。

    充電中

    お盆を過ぎ、夕方に吹く風も心なしか涼しくなったような気がします。そんなひとときをどうお過ごしでしょうか。

    僕は、11日(12日か?)にメルトダウンして以来、ずっと寝てました。食う、寝る。以上。廃人ですね。C70にも行けなかったし、毎年恒例の海水浴にも行けなかったし、部活の飲み会も参加できなかったし、フランス語のレッスンも受けられなかったし、本も読めなかったし、PCに入力することもできなかったし、つけてもらったコメントを考えることもできませんでした。廃人。

    そんな状況で唯一僕の心を躍らせてくれたのは
    08/12 魔法少女リリカルなのは第3期TVシリーズ製作決定!
    (リンク先:魔法少女リリカルなのはA’s 公式ホームページ)

    というニュースだけでした。

    まぁ、非常に無気力に喜び悶えていたということは記憶しています。一体どうやれば、無気力に喜び悶えることができるか、というのは置いといて。多分数秒周期のマルチタスクだったのでしょう。傍から見れば怪しい人間です。中身も中身でどうかとは思いますが。この際不問に処して下さい。

    復旧するにはもう少し時間がかかりそうです。コメントの返信、その他レスポンスに更に2、3日かかりそうな模様です。必要な方は今しばらくお待ちください。もしくはつっついてください。無理矢理やればその案件だけはクリアできるでしょう。で、またメルトダウンを起こすでしょう。はは。はぁ。あーあ。

    枯れている

    昨夜はちょっとサイクリングにいってきました。 00:30頃に出発して帰宅したのが05:30。 朝日が昇り始めたころでした。 いろいろありましたが、夜のサイクリングで終了できてよかったと思います。 太陽が昇ると熱いので。

    で、帰宅してから寝ようとしたのですが、どうも興奮して寝れませんでした。 視界がチカチカして、目を閉じれないのです。 そんな状態で我慢したまま昼まで過ごしてしまいました。 12:00過ぎになって観念してハルシオン*2を飲み、3時間程眠りました。

    17:00頃になってから、始めてC70のカタログをチェックしはじめました。 参戦するとしても3日目だけですが。 で、カタログチェック中に「めんどくせ」とオタクあるまじき感想をこぼしてしまいました。 カタログチェックは1時間で終了。 ヒットしたサークルは20個程度。 ほとんどが内周。ふむ。

    …狂ってますな、自分。

    ちょっとこの不安定な状態で人混みに特攻するのはどうかとも思いますが、 これで行かなかったら、この夏はなにもしないことになりそうです。 オタとして。

    あのころの若さをもう一度。 溢れんばかりにみなぎったあのやる気はどこに行ったのか。 サークルチェックとかして、ちょっと面白かった気がしますが。 行くほどのことか、と考えると…。 うーん、なんて見通しだ。

    我が意図に反して

    ぶらうざさんのブログ: 絶望からスタートするブログ のエントリー: それ、言葉遊びじゃない? で面白いことに言及していた。

    絶対的な正しさなんてない。

    ということを示そうといろいろ工夫していた。

    暇と興味があれば考えてみよ、とおっしゃるので考えてみた。 つけられたコメントとかを読みながらつらつらと考えてみた。 で、頭の中でひらめいた。 絶対的に正しいことは存在する、らしい。 僕のアプローチによれば。 そんな暗算をしながら車を運転して、メンタルクリニックに行き、メンタルクリニックの待ち時間にざざっと書き留めた。 で、それを見ながら今PCに入力している。 それにしても入力遅いな。 やっぱり時代はT-Codeか。

    ---

    以下、僕のアプローチを晒そう。

    最初の質問は

    絶対的な正しさなんてない。

    だった。 ちょっとこれを変換していこう。 で、判断可能なところで判断してみよう。

    いきなりだが、最初から大きな変換をしてみよう。 「絶対的な正しさなんてない。」の反対の意味は「絶対的に正しいことは存在する。」ということだ。 いきなりの大変換だ。 ま、問題をひっくり返した、と見れば良いだろう。

    さて、次に「絶対的に正しいことは存在する」を変換すると「絶対的に正しい命題は存在する。」となる。 更にそれは「どんな条件でも正しい命題は存在する。」言い替えれば「恒常的に正しい命題は存在する」と変換できる。

    そして更に更に飛躍して、「正しい」を真偽値の真と対応付けることができれば、上記命題は 「恒常的に真となる命題は存在する」と変換できる。

    さて、「恒常的に真となる命題は存在する」ことを示せるか考えてみた。 存在を示す方法は簡単。例を1つ以上あげればよい。 では恒常的に真となる命題とは何か。それはトートロジー(同語反復)のことだ。 つまり「aはaだ」という命題のことだ。 これで例示してしまったので、「恒常的に真となる命題は存在する」ことを示してしまった。

    ちょっと言い方を変えてみよう。 反対の視点で見てみると、 「全ての命題は条件に依存し、偽となる場合がある」そんな命題が真となれば、「絶対的に正しいことは存在しない」ことを示すことになる。 だが、全ての命題は条件により偽となる、だろうか。 残念ながら答えはそうはならない。 トートロジー(同語反復)、または恒真式があるからだ。 これも反例を1つ以上示せれば偽となることが分かるので、これで「絶対的に正しいことは存在しない」ということは偽となることを示してしまった。

    ---

    ここまでは分かった。 いいだろう。 でも本当かな。 理論で何でも片付けるのは良くない傾向じゃないの。 確かにここまでの話は単純な論理学の操作で十分対応できる。 じゃ、その先、論理学の外の世界、数学だけでは扱えない外の世界ではどうなるの。 そんなことを考えてみた。 これは文献とかも読み終わってないから、読む人はそのつもりで。

    ここからは論理の外側、論理で表現できる限界を視野に入れながら話そうと思う。

    さて、以前にも書いたが、人間は思考を言語化することにより更に思考を進めるというツールを手に入れた。 それがために、人間は言語というツールに頼って思考を生成、伝達させてきた。 では思考とは何なのか。 個別の事象を抽象化することだ。 抽象化された表現、つまり式は、数式・論理式を用いた推論に適用される。 つまり、数式の持つ表現力の限界が、人間の思考の限界、上に示してきた考察の適用限界なのだ。

    ということを考えて、ふとヴィトゲンシュタインは論理的な推論の表現力の限界について考察していたな、と思い出した。 で、論理哲学論考 ( 例えばここ ) とかをつらつらと読んでいた。

    で、要するに、まだ既存の論理の適用できない領域があれば、そこはまだ語れない領域、ということらしい。 ま、分からんものは語れんわな。

    余談で、その上まだ途中だが、このヴィトゲンシュタインという人はなかなか頭が良い。 上のウェブページの日本語訳を読んでそう思った。(ん?訳者の頭が良いのか?) 基本コンセプトは興味深いものの期待の範囲内で特に目新しいものはない。 ただ、文章が洗練・錬磨されていて、外連味なんて微塵も感じさせない。 ストイックな著者による文章だ。 とニヤニヤしながら読んでいた。我ながらキモイな、自分。

    文中

    事実の論理像が思考である。(3)

    なんてところは堪らない。 特に

    命題は論理空間に一つの領域を定める。
    この論理的領域の存在は、ひとえにその構成要素の存在によって、
    すなわち有意義な命題の存在によって、保証されている。(3.4)

    なんてところは「我が意を得たり」と膝を打ってしまった。

    ---

    そんなことはどうでも良いと。 まとめろ、と。

    まぁ、以上の考察から、絶対的に正しいことは存在することが分かったわけだ。 では、「絶対的に正しいことは存在する」この命題は正しいのか。絶対的に?

    結論を言うと、正しい。(少なくとも今のところ。既存の理論を使う限りにおいては)。 これは上で背理法によっても証明できたことだ。

    ただ気をつけなくてはいけないことがある。 この命題は「何が絶対的に正しいかを示してはいない。」ということだ。 絶対的に正しい命題が(何かどっかに)あること、存在証明をしているだけなのだ。 それじゃ、この命題が正しくなければ何が正しいのか、という話にもなるわけだが。

    そして付け加えるべきことに、その命題も絶対的に正しいと言えるわけではない、ということだ。 それは僕が理論の持つ表現力の限界を確かめていないからだけれども。

    ま、そういう難しいことはそのうち勉強するということで。

    以上、 それ、言葉遊びじゃない? を読んで思い付いてそれなりにまとめれたことをつらつらと書いてみた。

    ---

    最後に、上で紹介したぶらうざさんのエントリーで感心したところを紹介したい。 それは

    絶対的な正しさなんてない。

    ということを主張したいという基本コンセプトを持って思考していたことだ。

    これは意地悪な見方をすれば、思い込みから思考をスタートしている、ということになる。 だが、ここを僕は評価したいと思うのだ。

    訓練を積めば、思考を洗練させることはある程度可能だ。 しかし、訓練を積んでも、基本コンセプトを得る方法を洗練させることは非常に難しい。

    そして、現在自明と思われていることでも、それは仮説に過ぎないという前提もある。 そう。単に今まで反例が見つけられていないだけなのだ。 確からしいという、確度が高いだけなのだ。 論理だってそうだ。公理からスタートしているから。

    まぁ、そんなことを考えながら、「暑いな」と思いながら過ごした夏の一日だった。

    インフレーション

    ヲタスカウター
    というページを見つけ、チェックしてみた。

    で、結果がこれ。
    wota_sukauta.PNG

    -ヲタスカウター (2006年8月9日15時24分15秒現在)-
    エロヲタ度:エロヲタ度総合判定:

    総合ヲタ度「天」
    →解説
    エロヲタ神です。次元超えてます。(というか旅立ってる?)
    アニヲタ度:アニヲタ度 94
    アニヲタ神です。次元超えてます。けどデッキが壊れると弱いです。
    ゲーヲタ度:ゲーヲタ度 91
    ゲーヲタ神です。次元超えてます。けどゲーム機器が壊れると弱いです。
    脳内麻薬量:脳内麻薬分泌量 83 ぴこ?
    埠頭で取引されそうなレベルです。危険。
    法則無視数:物理法則無視 84
    アニメ級に捻じ曲げています。早急に更正が必要です。
    戦闘力:1808000

    ・・・アホか。こんなヌルい検査は初めてだわ。舐めとるのか。僕程度の人間はオタの最下層以下の人間として罵られるのが似合いだ。いうなれば、正規分布で下方3σにも入らない、ところだ。99.7%にも入らないということだ。

    この検査では満点の人間が量産されることであろうよ。また、この程度で満足する人間もでてくることであろう。嘆かわしい。オタの道はそんなヌルいものではない。厳しく、険しい道、のはずだ。

    そういやもうすぐ夏の祭典ですなぁ。気分が落ち気味なんですが、やはり、ヲタ志願者としては行くべき・・・だろうなぁ。

    学校付きの精神科医は頼れるか

    僕は学生な訳で、通っている大学は、学生への精神的ケアもサポートしていることを売りにしているらしい。 要するに学校付きの医者がいるわけだ。 保健室だ。

    以前調子を崩したときはそういった学校付きの医者を信頼できなかったのだが、 今回話をしてみて信頼できないわけではなさそうだ、という結論にいたった。 自分と似たような環境で悶々と考えている(かもしれない)人がいたら、参考にしてほしい。 ま、1つの事例に過ぎないのだが。

    調子を崩した当初から学校付きの医者の存在は知っていた。 ただ、信頼できなかったのだ。

    僕の頭には自分、教官、学校付きの医師の3者がいた。 そして大学は教官、学校付きの医師を統括していると想像していた。 もし仮りに自分が学校付きの医師に相談したらどうなるか。 環境に問題があった場合とない場合について考えてみた。

    環境に問題があった場合、大学は事を公にするのを嫌がるだろう。 僕が大学側の責任を追求するかもしれないからだ。 内々に教官との連絡をとり、内々に処理するはずだ。 内々に処理するうちに、自分が把握していない事項も変更されて問題は解決されるかもしれない。 その時は良いのだが、また似たような問題が出てきたら自分はハマるのだ。 繰り返しているという自覚的な認識もしないで。 それはいただけない。

    環境に問題がなかった場合、医師が現状を改善するのは期待できない。 原因と考えられることを特定でいない以上、対症療法を行うことはできない。 ということで、この案も使えない。

    行き詰まった僕だが、そこからちょっと考えた。 学校と関係ない医者は存在しないか。 学校と関係なければ利害も発生しまい。 あるとしても学閥だけだ。 それを避けるだけならいくらでも選択肢はある。 あるじゃないか。 町医者が。 僕はできるだけ大学と関係なさそうな小さな病院を探した。 そして、なおかつ、面談に必要な時間を割いてくれるような病院を願った。 幸運にもそんな病院に1つ目から当たった。

    医師の処方が良かったのか、技術の進歩に助けられたのか、薬を飲んで、そこそこ気分が落ちついた。 それからしばらく時間を置いて、関係者と話をした。 その結果、学校付きの医師と話をすることを勧められた。 前回はそれをするだけの余裕が無かったので断わったが、今回は余裕があったので話に行った。

    話してみて思ったのだが、それはそれでメリットのある行動だったのだ。 学校付きの医師はそれなりに専門知識を持っている。 メンタルクリニックで言われたことを素人が反芻しても担当教官へのその再現率、意味伝達率は低い。 それなら、もう一度僕を専門家に見てもらい、医師から直接担当教官へ話を通してもらった方が良い場合もある。 この作業は面倒だったが、今の状態は余裕があったのでできたことだ。

    反対の場合を考えてみても良い。 最初に学校付きの医師に相談してみて、疑問に思い初めたらどこか別の機関にセカンドオピニオンを求める、という方法も考えられる。 考えてみれば自分はそうしてもよかったのかもしれない。

    ただ、あのときに導き出した最良の選択肢は「町医者->余裕ができたら学校付きの医者」ということだったので今でもそれには納得している。 ま、要するに町医者・学校付きの医者両方を使ってみても悪くない、ということだ。

    ただ、両方の言っていること(解釈、表現の違い)にふり回されないことが必要な条件だ。 これはなかなか難しい。 僕は、専門家からの1意見を聞く、という態度でそれをやり過ごしている。 まぁ、決定権があるのは自分だ。 専門知識、経験からの推察を求めているだけで、絶対的な意見を求めているわけではない。 という、なんとも医者には申し訳ない記事になってしまった。

    面談

    大学に行って、先生と面談してきた。 A先生とI先生とT先生と話した。

    I先生曰く

    何でもアリだから。
    デューティーは無しの方向で。

    これは助かる。 本当に助かる。

    A先生曰く

    君はロイヤリティーが高すぎて自分を縛っているのではないか。
    人生には色んな道がある。
    自分の適正を良く考えなさい。

    …研究者以外の道を探せ、ということかな。 まぁ、今は特に希望がないのでとりあえず研究者やっとこうかと思います。 で研究者終わったら台湾にでも語学留学、かな。 ええどうせ僕は働きなんてしませんよ。 永遠の学生、もしくはニートですよ。穀潰しですよ。はは。

    T先生は精神科の先生らしい。 今日初めて、会った。 保健看護センターの割当ての先生のようだ。 A先生の紹介で。 A先生のテニス仲間のようだ。 先生に話を聞いてもらってコメントをもらった。 先生曰く、

    睡眠が6時間はとれるようになるまで、ゆっくりしたほうがよろしい。
    2006/08/24にもう一度話をしましょう。

    とのこと。

    先生は矢継ぎ早に質問してくる。 いつも行っているメンタルクリニックの先生とは勝手が違う。 まるで研究者がアンケートを取っているみたいだ。 そしてたまにボソボソとひとりごとをつぶやく。 …間違いない。研究対象の1つだ。 ま、こっちの方がテンポは慣れている。 そして、生の思考が見えるだけこちらも判断材料が多い。それは良いこと、のはずだ。 いやいや、自分が合理的判断、環境を評価できなければ意味がないか。むしろ逆効果だ。 なかなか考えがまとまらない。

    ま、現在見渡す限り、自分をとりまく環境は悪くないようだ。 悪いのは自分の性能、認識らしい。 焦ってもなんともならないので、徐々に調整していこう。

    あと事務手続きで休学願と復学願の両方をもらってきた。 どちらの方向でもすぐに行動できるように。 もしくは、ぎりぎりまで選択する時間的余裕を持つように。

    で、ついでに、生協の書店で自分は理系オタだな、と感じた。 英語と仏語、コンピュータ関連(今日はsubversionとruby on RailsとAjax入門チックな本)、数式を見ると満足するらしい。 今日のような充足感を味わったのはいつ以来だろうか。 一般書店では満足感は味わえないようだ。 夏の祭典ではこの分野で出品されていないものだろうか。

    暑い

    [2006-08-04]の日記

    動けない。 暑すぎる。 23時になってからサイクリングに出る。 24時頃に帰宅。 その時に例によって南アフリカの客人来たり。 今日も面白い話を聞かせてもらった。 日本は金がかかりすぎる。 やってられるか。 そんなんなら、海外で旅行した方が安いわ。 とか。 で、チケット調べるならNo 1 travel-comを推薦された。 易そうだ。

    [2006-08-05]の日記から

    朝はフランス語。 2時間だけの予定が3時間半。 簡単な文章を作るだけなのだが、頭がオーバーフローしそうだ。 本当に危なかった。

    午後は部活の練習に参加。 今日は行くか行くまいか相当に悩んだのだが、親が無理矢理、という形で行くことになった。 暑い。 その空間に居るだけでゲンナリしてくる。

    夜は寝た。 それだけ。 寝れたことは良いことだったに違いない。

    [2006-08-06]の日記

    寝た。寝た。寝た。 なにもしないで寝た。 で、この時間。 明日は担当教官との面談がある。 ま、いくだけいって、さっさとドクターもらえるような環境を作ることにしよう。 で、面倒臭くなって今日は終了。

    今のPCを取り巻く環境

    なにを今更な話題なのだが、この10年くらいのネットワークの成長は歴史的に見てすごいことじゃないか、とてつもない発明だったんじゃないか、と思えてきた。 以下、妄想。

    ---

    言葉を発明したとき。 これにより人間は思考を言葉によって他者に伝達する術を持った。 また、言葉によって思考する、という新たな行動も得た。 ただこれだけでは、その瞬間、その場にいないと伝達できないものだった。

    絵で表現することを覚えたとき。 人は文字で表現することとともに絵を描いて表現することを覚えた。 それは文字では表現できない、生き生きとした躍動感や当時の生活環境を物語るに十分な表現方法だった。 また、この方法では最悪その文字が読めなくても絵の内容から類推できるという利点を持つ。 (タッシリ・ナジェールの岩絵などをイメージしている。また文字のみで意味が分からないもの、としてロンゴロンゴを想定している。)

    文字を発明したとき。 それで時間的制約を受けずに、言葉の持つ意味にアクセスできることになった。 ただそれでも、その段階では文字=書籍はとても高価なものだった。 だから冊数は少なく、所有はおろか、閲覧できる人間も限られていた。

    活版印刷が発明されたとき。 書籍の大量生産が可能になった。 人々は高価だった書籍を比較的容易に入手できることになった。 これによって知識は時を越えて多数の人に与えられたと言ってよい。

    そしてwwwが発明されたとき。 これによって、メディアを使わない、PC間での情報のやりとりが楽になった。 これで、物理的な移動に依存していた情報のやりとりは、電子的な操作で置き換えられた。 要するに、楽になった。線を引いて、設定するだけでやりとりできるようになったから。

    そしてWeb2.0の代名詞のようなブログが開発されたとき。 これによって、システムの仕組みがよくわからないエンドユーザーでも、気軽に情報発信することができるようになった。 今までは、仕組みの分かる技術者達によってwww内の情報は作られていた。 人類総数から見ても技術者達の数は少ないものだろう。 だから偏った集団の持つ情報にしかアクセスできなかった。 それが、PCの良く分からない多数の人に使ってもらえるようになるのだ。 入力ソースの数が飛躍的に増大するのだ。 これで情報が存在するかの偏りがある程度校正されるんじゃないかと期待している。

    そして時は未来。 どのようにして人間の情報伝達方法は発達しているのだろうか。 主に先進国のみで使われてきたPCが発展途上国にも使われるようになり、生活の知恵、民族の多様な考えかた、といったものが溢れ出てくるか。 それとも、文字列の取り扱いだけではなくて、浮かんでくる図を即入力できるようなデバイスの発展があるのだろうか。 そして、その発展にともない、人間のコミュニケーション方法に革新が起こるのだろうか。 僕としては、人間の脳と脳を繋いでくれるような、感覚を共有できるような新しいコミュニケーション手段になってくれていることを望む。

    終焉の予鈴

    先日メンタルクリニックに行ってきて、先生を話をしてきた。 で、なぜか今年10月から復学することを目標にすることになった。 なんて話の流れなんだろうか。

    以下奇数は病院の先生、偶数は僕のセリフ

    1. 学校の方はどうですか?
    2. いや、休学するか復学するかを8月までに連絡せよと言われまして…
    3. そうですか
    4. 先生、私は復学を考えられる状態にあるのでしょうか(…えー、僕そんなこと考えてたの?)
    5. そうですねぇ、考えてみますか。
    6. ハイ、是非(…)

    いや、なんであそこで心にもないことを言ってしまったのだろうか。 今でも分からない。何故だ。

    そんな感じで10月から復学することを目標にすることになった。 当面は何も頑張らなくてよいらしい。

    いや、本気で希望したことを言わないかぎり、またメルトダウンするんだろうなぁ。 ま、いいか。どうせ失敗しているから、もう一度くらい失敗しても。

    お尻が痛い

    残念ながら、別にお野菜の話ではない。 椅子と尻との相性の話だ。

    一昨日、昨日と自転車に乗っていた。 そしたらお尻が痛くなったのだ。 普段自転車なんて使わないから、お尻がヤワになったんじゃないだろうか。

    とりあえず、自転車に乗った時間を記録しておこうと思う。 一昨日は3.5*2=7時間。 昨日は1*2=2時間。 そんなに長い時間ではないはずだ。 本気で自転車に乗るような方々なら気にする時間ではない。

    でも痛いのだ。 早急に対応を考えねば。 思いついた対策は以下の通り。

    • 自転車に乗る時間を短くする
      • 究極は乗らない(t=0)こと
    • 尻にかかる圧力を小さくする
      • 体重を減らす
      • 身体を支える面積を大きくする
      • 立ちこぎで、尻とサドルを接触させない
    • 尻が痛いと感じないようにする(同じ刺激でも)
      • 慣れるまで頑張る
      • 尻回りの神経をカット
      • サドルに座蒲団でもつけてみる?

    現在、トレーニングの一環として自転車に乗っているので、自転車に乗る時間を減らす、という選択肢は不可。 そうなると、尻にかかる圧力を小さくするか、痛いと感じないようにする、のいずれかの方策を講じなければ。

    尻にかかる圧力を小さくすることを目指すとする。

    体重を減らす。これは良い考えだ。 そもそもトレーニングの目的が運動により体重を減らす、ということだからだ。 目的も一致し、その目的が達成されれば痛さも消えるという良いスパイラルだ。採用。

    身体を支える面積を大きくしてはどうか。 自転車を改造しなければいけないだろうか。 どっかのエキセントリックな発明家みたいなマシンを作るのだろうか。自分。 自転車自体が重くなるだろうし。 走行するには、これはマイナスポイントだ。 ちょっと実現できなさそうだ。没。

    立ちこぎで接触しないようにする。 脚力はつくが、しんどい。 僕の体力を考えると無理。 よって不可。 (補足:いつかはできるかもしれない。)

    さて、次に尻が痛いと感じないようにする、という方法を探ってみる。

    慣れるまで頑張る。 …なにもしない。 痛い痛いと言いながら、耐える。 やっているかもしれない。結果的に。 ということで、実現は可能みたい。

    尻回りの神経をカット。 ちょっと自転車を乗るためだけにそんなリスキーな手術をするのは…。 排泄とかおむつが必要になりそうだし。 できれば遠慮したい。 予想されるデメリットが深刻すぎる。 却下。

    サドルに座蒲団をつけてみてはどうか。 改造が必要なことは上の提案と同じだが、改造の規模が違う。 サドルに座蒲団を縛りつけるだけで良い。 これで効果があればもうもの、か。 予想される心配事は、ペダルをこぎにくくなること。 それさえなければ大丈夫だろう。多分。 これは検討課題に入れよう。

    ロクな選択肢が浮ばなかったが、そこから幾つか検討すべき課題をピックアップした。 それは、

    • 体重を減らす
    • 慣れるまで頑張る
    • サドルに座蒲団でもつけてみる

    の3つだった。 要するに、サドルを変えて、ダイエットして、あとは我慢する。 という非常にありふれた結論になった。

    ま、そんなもんか。

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