中庸が目標

日記系になるのだろうか。予定は未定。 発言したいときには発言できないと。

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GTDの記事紹介

最近GTD, GTDと言っているが、疑似体験できる記事が掲載された。 Biz.ID:写真でわかるGTD(初回編) は現在オンラインで読める一番充実したGTD入門体験記ではなかろうか。

自分もこれを見ながら、今までの自分の至らなかった所、改善すべき点を見つけたい。

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脳内リフレイン

今日は何事もなく起きれた。 頭痛もない。良いことだ。

そして脳内で荘厳な音楽が流れている。 「?ん?まぁいいや」 それなりに気合の入る曲だったのでそのまま脳内リフレインさせた。

調べてみたら 魔法少女リリカルなのは Original Sound Track #29 集え、星の輝き~スターライトー・ブレイカー~ だった。

何故朝一でこんな曲を思いだしているのだろうか。 昨夜はそんなアニメは見てないのに。もうちょっとアレな選曲ができないのか、自分は。

自分の頭を信頼できない一日が始まりました。

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疑う能力

今日は、自分の起かれている状況を疑う能力について。

連日のネタ採用でなにか恣意的なものも感じるのだが ライフハックの心理学無気力学習を超えて において、タイムリーに面白い記事があった。

記事曰く、 人間生きていると、いろいろな状況になる。 たまには、なんともできない状況になる。 その現実から逃れるためにあれころ動くわけですが、 その前に、人間は感じている現実を疑える、というのです。 人間が持っている、現実疑う能力は以下の3つの特徴があるらしい。

  • 現実なのかどうか?
  • 甘受しなければならないものかどうか?
  • やる気を出すに値しないのかどうか?

ということが問題なのだそうだ。 続きはおいおいやっていくらしい。 ここはタイムリーに授業を受けることにします。

自分のエントリー( どう世界を認識するかスタート地点は大丈夫か )ではこれらの問題について、ごちゃごちゃに区別しないで考えていたようだ。 現状の評価に自己の評価尺度を適用する。 また自己の評価尺度で判断した結果から認識する現実のイメージが変わる。 そんなループを繰り返す。 もう少し、問題を小さくして取り組んだほうが良かったかもしれない。 問題構造の捕えかた自体が違うのかもしれないが。

少なくとも今現在の僕は、 ライフハックの心理学で言っていることを聞く価値はありそうだ。 *1 自分の知識の少なさをカバーできるかもしれない。 別の知識から自分のケースを類推できるかもしれない。

まぁ、そんなことに刺激を受けながら上記ブログのエントリーを読んでました。 少々現実逃避気味だったのかもしれませんな。 世界の認識のしかたへ。 もう少し外にも目を向けてみてもよさそうだと思えました。 少なくとも今晩、今この瞬間は。 明日の朝にどうなっているかは知りません。


*1当然、批判しながら、だが

lifehackコマンドライン

100SHIKI:コマンドライン化Todo.txt が紹介された。 *1

これはPCで取り扱うtodoリストをGUIではなくCUI・コマンドラインで取り扱うツールの紹介、というものだ。 shスクリプトやPerlもモジュールを利用したメッセンジャーとやりとりをするパッケージもある。 基本的なスクリプトで書かれているようで、WIndowsならCygwinでも利用できるようだ。 何ならデモ用の動画もある。 見てみると良いかもしれない。

最初lifehacker.comで Geek to Live: List your life in .txt と紹介していたのを読んだのだが、まさか Todo.txtのようなサイトが立ち上がるまでに成長するとは思わなかった。 まさかまさか。 そして百式が立ち上げ数日のtodo.txtを紹介するとも思わなかった。 また、Todo.txtのメーリングリストが立ち上げられ、既に40程のメッセージが投稿されているのにも驚いた。 世界中ではなかなか関心を持っている人もそこそこいるようだ。

さて、話は飛ぶが、自分はmeadowでhowmを使っている。 これがtodo.txtで紹介されているツール群の代替にならないか、と考えた。

自分は普段howmを使って、脳内アナウンスを垂れ流している。 PCを使うだけの気力がないときは紙に書き出している。 紙に書くだけの気力がないときは、なすがままにしている。 そして紙に書かれた案件は基本的にhowmにとりこまれる。 つまり、howmは僕の第2の頭だと言ってよい。 このファイルもrd記法でもってhtmlに変換され、ブログに貼り付けられることになるだろう。

話は戻る。 howmでtodo.txtのツール群の代わりにならないか。 多分、代わりとして使えるだろう。 特に問題は無いはずだ。 現状の機能を再現するだけなら。

todo.txtで行っている作業はこんなところだろう。

  • タスクの追加
  • タスクの表示
  • タスクの修正
  • タスクの所属するプロジェクトの登録
  • タスクを行うべき場所の登録
  • タスクの重要度の登録
  • タスク文面でgrep

正直、これはhowmで十分再現できる。 ひょっとして、todo.txtは車輪の再発明をしているのではないだろうか、という懸念がある。 ひょっとして、海外におけるhowmの知名度が低いために、似た機能を再開発しているのではないだろうか。 まぁ、良いのだが。自分が便利になれば。

howmの短所はEmacs, meadowを必要とする、この環境の重さだろう。 それを回避するために howm.rb なんていうrubyスクリプトも存在るうようだ。 これはコマンドラインから直接呼出せるらしい。 もっとも、これをうごかすにはrubyをインストールしないといけないが。 emacsをインストールするよりかは楽、という人もいるかもしれない。 ま、shellを使いたがる環境でemacsがないというのもこの頃は想像しにくくなったが。

それにしてもtodo.txt.shはすごい。 shでsedで書いてあるだけだ。 見てびっくりした。 移植性は高そうだ。 それはそれでアリなのかもしれない。 一体自分はどちらなのだ。

まぁ、当分自分はhowmを使いながら、todo.txtの動向を見守るというような形になるのだろう。 興味があったら軽く見てみるのも良いだろう。 今はまだシンプルな分、まだ全体を追っていける。 こんな風に開発ができる、という勉強になる。 *2


*1百式のソースを何度も紹介するのは気が引けるのだが
*2サイト立ち上げた当初の目的とは違う利用法だろうが。

自分と自分の中の他人と

二重人格とは何だか空恐しい言葉だ。 自分とは関係なさそうな深刻な世界だ。 自分では到底太刀打ちできないような、深刻な世界だ。

ところが、ついさっき自分と二重人格との接点を見付けてしまった。 恐ろしい。 人間、知らなかったほうが良いこともある。

ライフハックの心理学によれば、 二重人格「イヴ・ホワイトとイヴ・ブラック」 にてこう言っている。

自分の記憶が「完璧に抜け落ちた」(すなわちその「時間帯」が意識の中に存在しない)のに、
他人がその時間帯における、「私」の振る舞いについて知っている。それはもう、ある種の「多重人格」です。

例えば、朝、家族に起こされる僕。 その時は非常に調子の良い返事をして、あたかも起きているかのように振舞うらしい。 そして、僕を起こしにくることの行為自体を怒るようだ。 自分に対する不信だ、と。 そんな記憶は全くないのだ。 これも二重人格の1ケースにカウントされるのだろうか。

例えば、調べた覚えもないのに、知っていたこと。 以前のエントリー:自分の中の他人 とかだ。 これを閲覧していた時の"自分"はどんな人間か、どんな記憶を持っているのか知らない。 少なくとも僕は知らない。 こんな例でも1ケースとカウントしてくれるのだろうか。

なんてことを考えていた。 何も結論めいたものは出せなかった。 これから自分で考えていくのだ。 場合によっては何かを参考にして、自分で判断していくのだ。 まぁ、判断できればそれに越したことはないが。

それにしても、僕の知らない"自分"は僕の存在を知っているのだろうか。

ここ最近、変

この2、3日は寝床に入ってばかりでした。 断片的に考え事をしたり、寝たり。

この2、3日はPCを触ることへの抵抗も増えました。 活性化エネルギーの増加、みたいな感じです。 寝床から出ること自体が厳しいというか、井戸型ポテンシャル?

よくメモもしないで考えごとを何度もしたものだ、と。 最終的に、一体どれだけのパーセンテージをメモできたことやら。

なぜか突然2

プラネテスを全4巻を読みました。 衝撃を受けました。 あまりの衝撃で、読んでる最中に目眩いを起こしました。 2, 3巻あたり、でしょうか。 良い具合に飛んでます。 中高生の時に読んでいたら何も衝撃を感じれなかったと思います。

ところで、プラネテスのハチマキとベルセルクのガッツが似ているような気がしてきてならないのです。 両者とも強靭な精神力で足掻く。足掻く。

ハチマキ曰く、

全部オレのもんだ 孤独も 苦痛も 不安も 後悔も

ガッツ曰く、

オレはオレだ
他の何でもありゃしねえ
オレはオレのまま あいつまで辿りついてみせる

この2つの発言は噛み合いませんな。

ガッツは人外の者共への贄となることを拒んでいる。 それと上のハチマキの言葉との対応、ということか。

そして、ガッツの上の言葉。 有人木星往還船フォン・ブラウンの乗組員になろうとするハチマキ。 そして、ゆくゆくは自分の宇宙船を手に入れようとするハチマキ。 その目的を果たすため、それ以外のことを考えなくなるハチマキ。

こんなところが共通しているのかもしれません。 ただ、共通はしていても、物語の違いによって反応が異なる。

ま、そんな物語を読みました。 プラネテス。 漂流者。彷徨う者。 惑星のplanetとかも関係あるかも。

何故か突然

まほろまてぃっくを全8巻読みました。 いや、本当はとある人(のブログ)に影響されて、なのですが。 昔、4~5巻までは読んでいたのですが、フィギュアが付くようになって断念していました。 そんなことはどうでもいいと。 ああそうですか。

あの絵柄にしてあのストーリー。 なかなかやりますね。

アニメは見ようか迷っているところです。 特に第2期の終わり方で評判がよろしくない。 うーむ。

自分の中の他人

アキバ系.comにて「世界初の試み!?豪華スタッフによる“ショタエロアニメーション”の発売が決定」と紹介があった。
ああ、ショタか。それもアニメか。日本も終わったな、と思ってウィンドウを閉じようとした。

そのとき何かを思い出した。

「あれ?・・・ショタといえば、なにかをなにかで見た気がする」
見覚えのない紹介文に見覚えのない単語達。彼らが僕をあざ笑うかのようにモニターから僕を見ている。
そしてそのリンク先ナチュラルハイ【ぴこWEB】を見つけた。

なにかがマズい、と首の辺りがチリチリする。その警告に気づいていながらも、リンク先をクリックした。
そこには、以前自分が見た、記憶の中にあったショタ設定集があった。

・・・

確かに見た記憶はあるのだが、時期的にいつ見たのか、とかどんな経緯で見たのか、ということは思い出せない。混濁とした記憶の中にただあるだけだった。どうやってこの情報を入手したか、ということすら定かではなかった。ただ、このように混濁した記憶を持つようになったのはここ2年くらいだから、その時期に閲覧したのだろう。それくらいの推測しかできない。それ以上の推測はできない。

記憶が定かでないうちに記憶に植えつけられるなんて困る。自分で入力した覚えのない情報が頭の中にあるのは困る、というか気味が悪い。それに、超整理法の時間軸による整理とやらもできないではないか。

自分の意識がはっきりしないうちに情報を入力していたということは、ひょっとしたら自分の意識がはっきりしないうちに情報を出力していた、かもしれない。なにを出力していたのか非常に不安になるところだが、もう遅い。出力してしまったのなら、もう手の施しようがない。それは背負えということか。

そもそも、どうしてこんな情報を入力したことになっていたのかは深く考えないでおこう。せっかく記憶がないのだから。人間、知らないほうが良いこともある。

インソムニア・不眠症への12のアドバイス

43 Folders にて、よりよく眠るためのアドバイスが紹介された。 仕事術など生活改善を願うコミュニティにはより良く眠ることに関心があるのだろう。 睡眠は日々の生活で多くの時間を使っている。 これを制御できれば得られる効果も大きい。

さて、内容についてだが、相変らず眠るためのTipsといった感じだ。 ただ、以前紹介したものと比べてちょっと項目が増えている様子。 今回は12個の項目がある。

  • 寝る前にくつろぐ。
  • タバコを吸わない、カフェインを摂取しない。
  • 温かいミルクや軽い食事をする。(あなたの行動に干渉しない限りにおいて)
  • 毎日運動する。寝る直前は避ける。
  • 温かいお風呂に入る。寝る直前は避ける。
  • 就寝時間と起床時間を一定に保つ。
  • 眠たいときに眠りすい場所で寝るように習慣を作る。
  • ベッドは寝るためだけに使う。
  • 目の届く範囲に時計を置かない。
  • 簡単に眠れるようになるまで睡眠時間を減らしていく。
  • 心配事を考える時間を用意しておき、眠る前に書き出す。5x3のインデックスカードなどが使える。
  • 15分以内に寝られなければ起きて、眠くなるまでリラックスできることをする。

自分は考え事を紙に書き出してから寝る、とかはしている。 GTDの影響を受けてのことだが。 これは相当スッキリする。 ただ、この頃はなかなか眠れていない。 これは別の要因があるのかな、と考えたりもしている。

睡眠時間を減らすのは結構面白いかもしれない。 減らして危険はないのか、とか気になるところだが。 ちょっと試してみる価値はある。 もし失敗しても、どうせぶっ壊れるのは自分の身体だし。 特に問題は無い。

今回紹介したページの最後にこんなことが書いてあった。

What works for you? How do you beat insomnia?
何が上手くいきましたか? どうやって不眠症を克服しますか?

なかなか良い質問の仕方だ。 こういう質問ができるようになりたいものだ。 自問するときにも。

UFOが存在するっていう証拠はあるの?

世の中には質問に満ち溢れています。そんな質問に律儀に答えようとする姿勢は世界共通なのかも知れません。そんなことをYahooでもやってました。

Is there any evidence that UFOs and aliens really exist?

ま、X-ファイルとかUFO好きには「知ってて当然」といった情報しか書いてありませんが。まぁ、初心者にはこの程度で十分でしょう。お釣りが来ます。

実はこのページはgmailの紹介で知りました。一体google社は僕のメール文面の何に反応してこのページを紹介してくれたのでしょうか。気になって仕方ありません。国家レベルの陰謀でしょうか。宇宙の意志とやらかも知れません。

スタート地点は大丈夫か

先日のエントリー:どう世界を認識するかに関して追加を。 ひょっとしたら前のエントリーを読んでからのほうが分かりやすいのかもしれません。 反対に分かりにくくなってしまうのかもしれません。 問題点を明らかにできた自信がないので。

つまり、僕は、 "認識した世界に目的が存在する"なんて仮定にすぎないんじゃないの? と言いたいわけだ。 公理じゃないと言いたい訳だ。 公理というのはそれが真だと証明できないくらい明らかなもので、証明なしで「それは正しい」と考えているものだ。 証明の、数学の基点になるもだ。

非ユークリッド幾何学が誕生したように、 公理と考えられてきたものに反対する仮定をし、それで構築される世界に矛盾がないかを探す。 矛盾があれば、その仮定は問題があった、ということだ。 だから逆に、公理は公理、というか、信じうる仮定に値する。 反対に矛盾を見付けなければ、その仮定した世界ができあがってしまう。 矛盾が見付かるまでずっと。

正直恐いのは、反対の仮定=(認識した世界に目的なんてないんじゃないの)というので矛盾が見付けれないことだ。 世界はそう構成されている、という可能性を否定できなくなる。

そもそも、現在使っている論理(形式論理学と言うべきなのか?)の妥当性は僕自身で確認したわけではない、が。

政治記事読みくらべ

もうお気づきかもしれないが、Yahooが政治記事読みくらべというページを開いている。 掲載期間は2006/06/05-2006/06/29となっている。 ちょっと出遅れた感も否めないが、まぁ、見てみる。

このサービスは、雑誌やWebの政治に関する記事をまとめて読めるようにしたもの。 閲覧方式は

  • タイトル一覧
  • 媒体別一覧
  • カテゴリ別一覧

の3タイプを選んで読むことができる。

yahooはこのページの利点を

  • まとめて読むことができる
  • 無料で読むことができる
  • 読みくらべることができる

としている。

確かにその通りなのだ。 PCで記事を読むことに慣れていれば、情報源として悪くない。

ただ、僕はこの利点に1つ付け加えたい。 それは、これはカテゴリ別一覧を見ることで

  • 記事がどんなカテゴリに集中しているか分かる

ことだ。

様々な媒体で書かれた様々な記事だが、その記事を書いた人の興味、編集者の意図はどの程度偏っているのか。 また、「読みくらべ」とうたわれているが、その読んでいる人(つまり僕のことだ)がどれだけ偏った情報しか受け取れないのかが分かる。 逆に言えば、どの情報が抜けているかを知ることもできる。

こういった情報をまとめるサービスから、限られた情報からどのような情報を自分が抽出するか、できるか、を考える必要はあると思う。 時間が有限である限り、自分で受信できる情報量は有限であるはずだから。

目標管理ソフト Joe's goals

皆さんは日々の目標を達成できたか管理しているだろうか。

先日百式でも紹介されたJoe's goalsだが、 2日前に使い勝手が向上したという。

Joe's goalsというのは、まぁ、目標管理ソフトだ。 目標を設定して達成できたかできなかったかを記録する。 実際にそのページに行って、画面を見た方が分かりやすいだろう。 Joe's goals

このソフトはベンジャミン・フランクリンの13徳から発想を得たものだと書いてある。 その13徳とは以下のようなものらしい。 起業家のためのビジネス書評ブログ -- 『人生を幸せへと導く13の習慣』 by ベンジャミン・フランクリンより引用。

1.節制:頭や体が鈍くなるほど食べないこと。
2.沈黙:他人あるいは自分に利益にならないことは話さないこと。
3.規律:自分の持ち物はすべて置き場所を決めておくこと。仕事はそれぞれ時間を決めて行うこと。
4.決断:なすべきことはやろうと決意すること。決意したことは、必ずやり遂げること。
5.節約:他人や自分に役立つことのみお金を使うこと。すなわち、無駄づかいはしないこと。
6.勤勉:時間を無駄にしないこと。いつも有益なことに時間を使うこと。無益な行動をすべて止めること。
7.誠実:だまして人に害を与えないこと。清く正しく思考すること。口にする言葉も、また同じ。
8.正義:不正なことを行い、あるいは、自分の義務であることをやらないで、他人に損害を与えないこと。
9.中庸:何事も極端でないこと。たとえ相手に不正を受け、激怒するに値すると思ってもがまんしたほうがよい
        ときはがまんすること。
10.清潔:身体、衣服、住居、を不潔にしないこと。
11.冷静:つまらないこと、ありがちな事故、避けられない事故などに心をとりみださないこと。
12.純愛:性の営みは、健康のためか、子供をつくるためにのみすること。性におぼれ、なまけものになったり、
         自分や他人の平和な生活を乱したり、信用を失くしたりしないこと。
13.謙譲:イエスとソクラテスを見習うこと。

これらのチェック目標を達成できたかできなかったかを毎日記録したそうだ。

一旦目標を設定してしまえば、あとはクリックだけで日々記録できるのも魅力だ。 自分の生活状況を把握するために利用するのも悪くない。

メモソフト Wridea

今日はメモするツールを紹介しようと思います。

Wridea

ごく基本的なプロジェクト管理ソフトとして作られたようです。もう少し突っ込んで言うと、GTDで使えるように作られたようです。大雑把にいうと、Web経由でメモできるソフト(分類機能付き)、というところでしょうか。今までの3つの説明が噛み合ってない気がしますが、それは華麗にスルーします。

2006/06/18の時点では無料で使用できるので、試しに使ってみてはいかがでしょうか。必要なのは、ユーザー名とメールアドレスの2つです。

日本語での入力・編集もできるので、助かります。はい。

wridea.PNG

使った感想を言うと、ちょっとクセがありそうです。

とりあえずideaタブにアイディアを書き溜めておいて、後から、(Pages数)×(Categories数)のマスをもった箱の中にメモを入れていく、という感じでしょうか。そして、Page毎に閲覧していく、と。なお、Category毎に色を分けることができるので見た目にも分類されていることが良く分かります。こういう使い方はGTDからは外れている気もしますが。ま、こんな使い方もできる、ということで。

むしろGTDな使い方を想像できない時点で自分はGTDを理解していないということになるのかもしれません。うむ、苦しいなぁ。・・・あ、書いてありましたね。
Different page for each project and different categories for each work type.
なるほど。プロジェクト毎にページを設定して、仕事の種類毎にカテゴリーを設定する、と。next actionファイルがない、というわけですな。ま、自分なりの使い方で使えと書いてあるのでためしに使ってみてはいかがでしょうか。

消える

封神演義〈下〉 封神演義〈下〉
安能 務 (1989/01)
講談社
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ふと思い出した。

封神演義の中で、仙人の修行をすることに関して話す場面がある。 そしてその最終目的とは、「消える」ことなのだそうだ。 くるくると独楽のようにまわって、小さくなり、なくなってしまうことだそうだ。

読んだ当時は中学生だったので「フーン、で?なんのことやら」と思っていたが、今考えるとこれは世界に希望を持たなくなった人(諦観、達観、悟った仙人達?)の最終的な願望じゃなかろうか。 とすら思えてきた。

それを小説の形で表現したのではないか。 それも中国、明の時代にはすでに話としては完成していた。 ということは、ひょっとしたらその頃にはもうすでにそのような問題が(発生していて)認識されていたのかもしれない。

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封神演義の記憶は中学生の時の記憶だから、もう10年程前のことですな。 本自体はもう手放してしまって確認することすらできませんが、なんで思い出したのでしょう。 こんな唐突に。

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「忘れるということは、人間の記憶がなくなる訳ではない。 記憶に至る経路が断たれるだけだ。 だから、記憶に至る経路を繋ぎ直せば思い出す」 というのは本当かもしれません。 どう考えればそれが証明できるかも思いつきませんが。

クリエイターのセンスは偉大なり

今回紹介するのは、トータル10分程度の動画(計4本)です。今回も例によってくだらないものです。

どんな映像をも台無しにしてしまう脅威のマリオ・サウンドのパワーを見よ! :にゅーあきばどっとこむ

どこかの誰かが、かっこいい映像にマリオサウンドをつけようと試みたようです。

シュールです。
タイミングはあっているのに、どうしてこれほどまでにシュールなのか。
物事には組み合わせが大事だということを嫌というほど思い知らされました。

ある意味、これはこれで芸術の域に達しているかもしれません。

どう世界を認識するか

今日は僕が世界をどう見ているか、ということをうじうじという話。

世界を見るときに、自分の目的に沿って世界を見れるにこしたことはない。 そっちの方が都合が良い。

しかし、そんな風に世界に目的があるなんて保証があるだろうか。 いや、そんな都合のよい目的を世界から認識できるだろうか。 保証が無い以上、疑うべきだろう。 保証のないものを疑ってきたのが僕のスタンスだから。 (そのスタンスはまだ疑えていない。)

世界に、認識した世界に目的があるはずだ、なんてまだ言えない。 だから目的があるのかどうかを調べたい。

調べる方法はただ1つ。 自分が世界をどう感じているか、ということだけだ。 他人がどう感じているかとか、客観的事実か、とかはあまり意味がない。 それらの評価は一度自分の中で解釈されて、改めて自分の中での認識として存在するからだ。 結局、世界に向きあったとき、自分はどう感じているか、でしか評価できない。 たとえそれがどんなに頼りにできないもので、精度を欠くものであっても。 それしか手段がないのだから。

自分が世界をどう感じるかで世界を認識したときの目的を探ろうとするなんて、正直賢い方法ではない。 それはまるで、違う手段で違うものを見ようとしているからだ。 それはまるで、触っただけでリンゴの色を探ろうとしているようなものだからだ。 いや、下手をしたら、リンゴの色は無かった、なんてことにすらなりかねない。 認識した世界に目的なんてはじめから存在しなかった、なんてことが十分に考えられるのだから。

でもやっぱりこれしかできない。 今の僕にはこれしか手段を思い付けないから。

だから僕はこれからも世界を定義し続ける。 世界を定義することを通じて自分がどのように世界を感じているかを観察する。 そして世界と自分との関係、自分の立ち位置を調べるだろう。 それが適切だと確信できればそれにこしたことはない。 それから目的の有無を吟味して、自分の目的を定義して、問題解決をはかれる。

逆に言えば、自分が表現した世界の定義に自分が納得できなければ、自分は動くことができないのだろう。 なぜなら、自分と世界との関係を把握できずに目的の有無の確認や目的の定義、問題解決への挑戦といった次のステップに進むことができないからだ。

また、仮りに一旦自分で世界を定義できて次のステップに移行できたとしても、自分の認識にくい違いができてしまえば、また最初の「世界を定義する」ステップへと舞い戻ることになる。 目標地点を間違えて設定してしまったら、どれだけ走っても本来あるべき目標地点へは到達できないはずだからだ。 もっとも本来あるべき目標地点があれば、の話だが。

だから、恐らく僕はこんなフローを考えているんじゃないだろうか。

  1. 世界を定義する
  2. 自分の立ち位置を確認する
  3. 自分の立ち位置からみた世界の目的の有無を確認する
  4. 自分の立ち位置からみた世界の目的を定義する
  5. 自分にとっての問題を把握する
  6. 問題解決にあたる

自分にとっての世界の目的を探したいのだが、それが存在し、定義できるまでには3のステップまで進まなくてはならない。 なかなかハードルは高い。 それに、僕は1-6のどこで食い違いを感じても1に戻るのだろう。 たとえそれが1-3のどこであっても。 おそらく、1のステップを何度でも繰り返すことになるだろう。 このあたりはDSMで工夫できるところなのかもしれないが、それはまたの機会ということで。

このようなことを考えてちょっと恐いのは、 自分の立ち位置からみて世界に目的なんてなかった、 という事態だ。 世界に何も意味はない。 ただそうあっただけ。 自分の存在もそうあっただけ。 これはなかなか恐しい。 行動の指針を立てれないからだ。 でも人間社会で生きようとするかぎり、行動の指針を立てるように迫られる。 解が存在しない問題を解け、と言われるのだ。 「解が存在しない」なんて言うことは許されない。 なんという恐しいことだろうか。

だから僕は、自分から見た世界が目的を持ってくれていることを願う。 でもそれはおそらくあまり望めないことだろう。 そうであっても願う。 このような「ダメだろうな。でもそうあってほしい」という考えで上記ステップをループするのだろう。 どのような状況になったらこのループを止めるか、という設定をしないといけないのだろう。

ループを止める大きな分水嶺は「自分の立ち位置からみた世界に目的があるか・ないか」だろう。 あれば次のステップに進むことができる。 無ければ、どうしようか。 どう自分をなだめすかそうか。 諦めろ、と自分に言うしかないだろうか。 それとも、次の別の手段を考えなければいけないのだろうか。

ということを考えてみた。 寝る前にこんなことを考えているようでは、寝ても幸せな夢は見れないわな、という気がする。

状況次第で集中する、か

柔術しに行ってきた。 良い運動はできただろう。 運動量に関しては問題ない。 問題なのは僕の動きの質だ。 やっぱり動きの精度が落ちている。 基本をやり直さないといけない。 技術の向上なくして、動きの精度の向上なくして、寝技の強化はない。

とはいえ、今日は体力的にきつかった。 やっぱりこんな非人間的な生活をしていると体力は落ちるものだ。 当然だろう。 ろくに外出もしない人間が運動をしようというのだから。

ただ、1つ感じたことがある。 場合によっては、僕はまだ集中できるようだ。 体力的に一杯々々のときは、呼吸することしかできない。 他の何も考えていない。 その動作を止めることもない。 呼吸をすることに僕の全能力を使っている。 だから、そのときは呼吸することに集中できている、と言えるのかもしれない。

練習が一段落して、一生懸命身体に酸素を取り込んでいたとき、苦しいけれども、同時にそれしか考えれないという不思議な状況になった。 変な言い方をすれば、それは幸せな状況だったのかもしれない。 余分なものに煩わされず、身体にとって一番必要なものを最大の努力をして手に入れているのだから。

ただその後で 「そのとき、そのまま昇天すればもっと幸せだっただろうに」 と、思った。

ま、よくある話ですな。

本当に世界的に数独ブーム?

今日、フランス語のレッスンに行ってきた。

部屋に入ると、テーブルには数独の雑誌があった。 じっと見ていたら、先生は雑誌をとじて表紙を見せてくれた。 SUDOKUとタイトルが上部に書かれ、あとは意味の分からない単語達がアルファベットで書いてあった。

これ数独じゃ…

と僕が言うと、先生が応えた。

そう、数独。スイスで暇潰しに買ったんだけどハマっちゃって。

先生はここ2週間程、帰省のためスイスに行っていたのだ。 そこで、数独にハマるとは。 見ると、結構なページ数を解いていた。 本当にハマったんだ。 確かに先生の性格を考えると、一度やりだしたら結構徹底的にやり込むとは思うけど。

なにか変な感じがする。 ただ、僕もその先生も数独が好きだったという共通点を見つけた、だけなのだが。 この先生、変わりものだなぁ、と改めて思った。 まぁ、その先生も読書が趣味で、歴史や哲学に興味があって、雰囲気も僕と似たようなものもある。 似ているとは言っても、先生は絵画や彫刻、蝋燭作りとかも趣味でやっている、僕よりも守備範囲の広い人だ。

その後、何事もなくフランス語の授業が始まった。 平和な日常だ。 平和、なんだろうなぁ。

能力が必要か

ひょっとして、「幸せならば楽しい」というのは、それを認識するだけの余裕があるか、という質問じゃないだろうか。

幸せである状況を楽しむならば、幸せである状況を認識できなくてはいけない。 幸せであると認識するためには、幸せになるための条件を明確にしていなければならず、同時に現状を把握していなければならない。 そして求めるべき条件と現在の状況とが合致していなければ幸せとは認識できない。

自分を客体化して観察するだけの余裕が自分にあるか、ということが問題になるのだろう。 自分の存在する世界を1つの世界と見たてて、その外から自分を観察する、という。 実際に世界からは自分を分離できないかもしれないが、少なくとも主体としての自分からは離れなくてはいけない。

このパラグラフは関係ないが、 それとも、幸せとは主体としての自分から離れてはいけないのだろうか。 キルケゴールの言う信仰とは、主体として、世界の主人公としての自分がどのように世界と関わっていくか、どのようなことを信ずるか、ということだ。 たとえ、その信じたことにはどこにも確証がなくても、自分は信じなくてはならない。 そうでなければ生きていけないから。 とても過酷な道だ。

物事の程度を知り、「それだけあれば十分」と言えるだけの余裕がないといけないのかもしれない。 そして、その余裕があってはじめて満たされた感覚=幸福を感じる。 また、その余裕があるからこそ、現在の満たされた環境を楽しむことができる。 ただ、ここでいう楽しむためには、上述した余裕と、状況を前向きに捕えることができる能力(あるいは一種のユーモアのようなものか?)が必要になるのだろう。 言い替えれば後者は、現状から楽しめる要素をピックアップする能力だ。

現状から楽しめる要素を取り出す能力を持つ者は、ある意味楽観主義者なのかもしれない。 コップに半分水が入っていて「半分も水が入っている」というか「半分しか水が入っていない」というか、というアレだ。 勿論楽観主義者は「半分も水が入っている」と言うらしい。 この点に限っては人は楽観主義者でいたほうが良いのかもしれない。 なかなかそうはなれないが。

先程幸せになるためには、余裕と楽観主義者的な姿勢が必要だと書いた。 一般にこの余裕と楽観主義者的な姿勢は異なる性質のものだと思われるかもしれない。 しかし、僕は、この余裕と楽観主義者的な姿勢とは似た性質のもの、根本は同じものだと思う。 つまり、この2つは強靭な精神力と冷静な状況判断能力が根幹にあると言いたいのだ。

余裕は、現状を把握し、過度が良くないことを知り、自分の欲望を適切な形で表現することができ、現状で問題ないことを確認できる理性的な状況認識によってはじめて形成される。 非常に冷静な判断に基いた、適量を知る、という行為に裏付けられたものだ。 これはともすれば過度になりがちな自分の欲望を抑え、適量を定める自分の精神力が必要となる。

それに対し、楽観的な姿勢は、現状から導き出せる好転し得る材料を探そうとする姿勢のことだ。 これには、まず、現状を把握する能力が必要だ。 そして、把握した現状から未来がどうなるかを想像する、想像力が必要となる。 場合によっては経験、専門知識も必要となるだろう。 そして、幾多も予想されたケースのうちで、好転し得る場合を探し出し、それの原因(駆動力)を見つけ、そこに希望を見出す。 これも冷静な判断ができなければとてもできたものではない。

どちらも強い意志がなければできない。強い精神力がなければ片方すら維持することは難しい。

幸せであることを楽しむためには、強靭な精神力と冷静な状況判断能力が必要だということか。

核爆弾型PCケース

PCのケースはいろんなものがあります。 ケースが赤色だったり、スケルトンだったり、異様にオシャレなものだったり、形すら変なものだったり。 今回はそんな変わり種の紹介です。

<URL:http://www.techeblog.com/index.php/tech-gadget/the-24-pc-case-mod-revisited> 核爆弾型のPCケースだそうです。 映画の24とかをイメージして、自分の想像で作ったらしいです。 すごいことをする人がいるものです。

個人的にはこのPCが水冷であることがポイント高いです。 あと、DVDドライブがあるらしいのですが、どこにどうやって挿入して使うのか、見てみたいところです。 みんなネジ止めされていて、可動部なんて見当たらないので。

それにしても何を考えているんでしょうねぇ。

よし、爆弾型のPCケースを作ろう

なんて思い付くなんて。 その経緯にも興味があります。

言葉の定義が必要になるのか

またまた 前回のエントリー の続き。 「幸せでいることを楽しむか」について考える。

幸せでいることを楽しむか

ということは、

「幸せならば楽しい」はあなたにとって真か?

という意味に解釈できないだろうか。 以下では、この解釈を試みる。 適用範囲を自分に限定し価値の判断を行うため論理的な真理を追求できる訳ではないが、それでもとりあえずこの解釈を試みてみる。

適用範囲を自分に限定すれば、上記の質問は

幸せならば楽しい

という命題に更に変形できるはずだ。 そしてこの命題が真か偽の値を持つはずだ。

真になれば、 「幸せならば楽しい」は僕にとって真-> 幸せならば楽しい、 つまり、幸せでいることを楽しむ となる。 逆にこの命題が偽となれば、 「幸せならば楽しい」は僕にとって偽-> 幸せならば楽しいとは限らない、 つまり、幸せでいることを楽しめるとは限らない となる。

命題が偽になるところで、 「幸せなら楽しいとは限らない」と 「幸せなら楽しくない」とで迷ったのだが、 「幸せなら楽しいとは限らない」で良いだろう。 反例が1つでもあれば、その命題は偽となるのだから。

ここまでは良いだろう。 問題は、どうやって「幸せならば楽しい」は僕にとってを真だと証明できるか、だ。

正攻法は難しそうだ。 何か同じことを言っているような気がする。 幸せならば楽しい、そりゃあたりまえのような。 というかトートロジーのような気がしてくる。注意しないと。 ちゃんと言葉の定義をしないといけないようだ。 幸せとはどんな状態か、楽しいとはどんな状態か、と。

対偶を取って、それを証明してみてはどうか。 楽しくないならば幸せではない。 これも結局同じか。 なんか、あたりまえのことを言っているように感じる。 これも言葉の定義が必要なようだ。

正攻法での証明と対偶をとっての証明を試みて、次にまずすべきことが分かった。 僕にとって大事なことは次の2つのことを厳密に定義できるようになることのようだ。

  • 幸せとはどんな状態か
  • 楽しいとはどんな状態か

この2つが厳密に定義できれば、証明もできるようになるだろう。

それにしても、幸せとは何か、楽しいとは何か、なんて、なんて怪しい宗教チックな薫りがするんだ。 痛い。痛すぎる。 頭が不自由な人のようだ。 (酔っ払いは自分が酔っているとは気付かない。)

まてまて、そういえば、背理法は試してなかったな。 でも、まぁ、言葉の定義をしないことには進みそうにないな。 ということで背理法でのチャレンジは放置。

愚かな思い込み

先日のエントリー で頭の悪いことを考えたな、ということを猛省している。

Do you enjoy being happy?
(幸せでいるいるとこを楽しむか?)

に対して、

No. I feel uneasy when I am not happy.
(いいえ。幸せでないとき不安を感じます。)

は頭の悪い答えだった。 ピントの外れた応え方をした。

本来なら、

はい。幸せでいることを楽しみます。

もしくは

いいえ。幸せでいることを楽しみません。

のどちらかとなる。

この質問では、幸せでいることは達成された前提としてある。 そして、その状況を楽しめるか。という質問なのだ。 ただ、「幸せでいるとき、それを楽しめるか否か」と質問しているだけだったのだ。 この文には、それ以上の意味を含ませていない。はずだ。 文を読む限りにおいては。 つまり、この質問では、「幸せでないとき」など聞いていなかったのだ。 質問の範囲に入ってなかったのだ。

しかし、自分は

いいえ。幸せでないとき不安を感じます。

と応えた。 質問で聞かれもしなかった「幸せでないとき」を自分で勝手に想像した。 なんという愚かな返答の指針だろうか。

自分の頭は論理的に処理できてないようだ。 ろくな返答もできないらしい。 ふむ。

幸福でいることを楽しめますか?

Emacs(meadow)でM-x doctorと入力すると
I am the psychotherapist.  Please, describe your problems.  Each time
you are finished talking, type RET twice.
と出力され、患者と精神科医との対話(モドキ)が始まる。プログラムとの一人遊びだ。

そこで、ふとひっかかる質問を目にした。
Do you enjoy being happy?(幸福でいることを楽しみますか?)
思わず、考え込んでしまった。幸福であることを楽しめるか。これは結構大事なことのようだ。

なお、その質問に対する自分の応えは
No. I feel uneasy when I am not happy.(いいえ、幸福でないときに、不安を感じます。)
だった。今、改めて考えてみれば「幸福の時を楽しめません。それがいつ終わるのかを考え、不安に感じます。」と応えることになるのだろう。これではセネカのいうダメな人ではないか。ダメだな、自分。

ということをふらふらと考えている。
幸福であることを楽しめる、というスキームを自分に植え付けないといけないのだろうか。それならそれで、別の考え方を仕入れてこないといけないなぁ。

ロットナンバー

先日、牛乳を飲んでいたらひらめいた。

なのは牛乳

とうとう萌えの世界が食品業界に参入か。日本も本格的に壊れたな、と思った。牛乳を飲み終わり、念のためもう一度牛乳のパッケージを確認する。が、そんなことは何も書いていない。見えたのは

LOT. NHA

という文字だけだった。そうか、そういうことか。

NHA->NanoHA->なのは

・・・壊れているのは僕の頭の中だけのようだ。それもそんな文字を見たつもりも無く、かろうじて視界の端に入っていただけなのに。相当狂っているのかもしれません。当方。

近況

面倒ですねぇ。息をするのも面倒くさい。この虚脱感は何でしょうかね。しばらく我慢していれば波は収まると思ったのですが、これがなかなか。

このブログを読んでくださる稀有で好事家の方は、どうか期待しないで放置してください。それなりに動ける状態になったら、適当に書き出すことと思います。

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