中庸が目標

日記系になるのだろうか。予定は未定。 発言したいときには発言できないと。

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練習中の妄想

柔術というのを知っているだろうか。ひょっとしたらグレイシー一族やプライドなどの言葉と一緒にブラジリアン柔術という言葉を聞いたことがあるかもしれない。柔術とは、胴着を着て畳に寝転がり、相手をひっくり返したり関節や締めをとると大喜びするスポーツだ。その柔術の練習に僕も参加させてもらうときがある。今日はその時に感じたこと、反射的に考えてしまったことを書こう。

(柔道の乱取りにあたる)スパーリングで相手(A君)との練習は面白かった。傍から見ていても退屈しないスピーディーな展開で、攻めたり攻められたりしていた。スパーリング前に予想したよりもA君はうまかった。スピードもあるし、スタミナもある。動きのスジもいい。長いこと練習しているのかな、結構歳食ってるのかな、でも顔には幼さが残っているなとか考えていた。

練習が終わって話を聞くとA君はまだ高校3年生だという。なるほど、どうりで幼さが残っているわけだ。いや、そんなことよりも高校3年生にしてこの寝技の力を持っていることに驚いた。本当に舌を巻いた。

高校生のうちに寝技を練習するなんて、まるで井上靖の「北の海」で書かれている高専の柔道部員みたいだ。参考までに「北の海」は(高専柔道)寝技の練習に明け暮れる柔道部員の生活をつづった、井上靖の自伝的小説と言われている。高専柔道とは体力に劣るものが負けない、練習量に強さが比例する柔道を作り上げる為に引きこみ・寝技の攻防を認める、講道館柔道とは一線を画す柔道集団のことだ。どちらかというと高専柔道はブラジリアン柔術に近いのかもしれない。

さっきはA君は「北の海」に出てくる柔道部員みたいだと言ったが、そうでもない面もある。北の海の柔道部員は傍から見ると異常と思えるほど練習に打ちこみ、徹底的に自分をいじめる。そこには悲壮感すら漂う。でもA君はそんな悲壮感はなく、生き生きと気負わずに寝技のロジックを楽しんでいる。ああ、こんな風にしても強くなれるんだ。という発見だった。

彼を見ていて、「こんな子が入部してくれないかな」なんて身勝手な願いを抱いていた。まず寝技を楽しんでいること。そして寝技の基本的な動きの連携ができつつあること。最後に寝技の感・スジとでもいうべきものが良いこと。これら3つが身勝手な願望の理由だ。残念ながらA君は先生になるために上京し大学生となるようだ。ここでA君確保は断念。でもA君の高校での寝技友達にあたってみれば、ひょっとしたら柔術ベースの高専柔道(七帝柔道)プレイヤーが生まれるんじゃないかなーなんてことを考えていた。今度A君に同年代の寝技友達についてインタビューしてみよう。なにか傾向がつかめるかもしれない。

そんな前向きになれた一日の出来事だった。

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取材拒否してもいいんじゃないか

ミキティ流トリノ入り…囲み取材「え~いやだ」 (夕刊フジ)

空港に到着した安藤は、日本オリンピック委員会から取材許可が出ていたにもかかわらず、開口一番「え~っ、いやだ!!」。日本スケート連盟関係者が、とりなしてなんとか囲み取材がスタートしたが…。

取材を拒否する権利はあるだろう。日本オリンピック委員会から取材許可が出ているだけで、本人から取材拒否の場合だって十分考えられる。日本オリンピック委員会が「日本オリンピック委員会が許可した取材に応じる義務がある」とかいう契約書をつくったわけじゃないだろうし。

なぜスポーツ選手が本職でないインタビューを受けるかというと、それによってなにかしらの利益を得るからだ。知名度であったり、知名度からくるスポンサー協力であったりするだろう。ただ今回の場合はそれらメリットよりも大会前にインタビューされるときに感じるデメリットの方が大きいと感じた、と説明すれば理解しやすい。要は、当事者に関してどんなメリット・デメリットがあるか、ということだろう。

なんか、この記事を書いた取材屋さんはお金をもらえるだけの専門性を供えているのかなぁ、と疑問に思う。大会前に数多く見られるナーバスな選手に対して、あまりに無神経な行動に見える。今回の記事は、前例の多い典型的なケースでの取りこぼしに見える。これではいただけない。そういうナーバスな選手に配慮して取材をやめてみたり、なだめすかしたりして記事をとってきてはじめてプロフェッショナルとしてお金がもらえるのではないかな。どっかの事務所に連絡とって許可もらって取材するだけなら、素人の僕にだってできるだろう。取材する身分さえあれば。たぶん。

堀江氏はなかなかできる人物だ

堀江厚顔「検事に勝った」証拠メールに「偽造でしょ」 (夕刊フジ)

1日2、3時間という取り調べは財政経済事件を手がけ、緻密(ちみつ)で冷静沈着な人物とされる副部長が担当しているが、「そうじゃない。違いますよ」などと全面否認。細かい点については「覚えていない」と言い張り、起訴事実に関する調書の作成には一切応じていない。

この文章を読む限り、堀江氏は自分よりも精神的に強いと感じた。比較の対象が自分と、というのは失礼なのかもしれないが。

まず全面否認に関して。(同意による)調書作成、作成された書類がいかに重要で、いかに注意深く対応する必要があるのかをよく知っているようだ。一旦つくられた書類は曲解される可能性があり、一度曲解された書類を再度評価してもらうことは難しく、一般的に長い時間が必要だ。堀江氏が活動していたフィールドは単位時間あたりのコストが高く、よって書類作成協力は割に合わない。また、元ライブドア社長としての信用が回復できるか、信頼を回復させるためにどれだけの時間なら払うことができるか、という計算もあろう。その結果、書類作りに協力しても堀江氏への最終的なメリットは期待できないと判断しているように見える。実際に罪を犯していない場合に否定するのはもちろんのことだが、実は罪を犯しそれを免れようと考えている場合には余計に注意深く振舞わなければならない。

次に、細かい点については「覚えていない」と言い張っていることに関して。細かい点だから覚えていないのだろう。細かいことを覚えていなくてもそれほど不自然ではあるまい。覚えていないものは覚えていないとしか言いようがない。覚えてもいないものを記録媒体で確認もせずに適当に発言することこそ忌むべきだ。そんな発言こそ真相追求の邪魔になる。そういえば、調書を取っている間は荷物の持ちこみはできるのだろうか。最近のビジネスマンは手帳やPCがなければやってけない、という人も多かろう。ひょっとしたら「僕は暇人じゃないですから、そんなこと覚えてませんよ」と言ってるのかもしれない。

また、堀江氏が実は覚えていても話さないという場合も考慮すべきだが、その場合でも堀江氏には問題ないだろう。というのは日本では黙秘権が認められているからだ。この場合は、黙秘権発動のかわりに「覚えていない」と発言していることになる。僕の知る限り、拘留中の被疑者が知っていることをすべて話さなければならない、という日本の法律はないはずだ。嘘を言ってはならない、というのはあっても。都合の悪いことは黙っていれば良い。それをどう評価されるかも十分に想定の範囲内のはずだ。

最後に、マスコミを通した僕達の好奇の目に長時間晒されても必要以上に卑屈にならず、認められた権利を十分に活用しているように見える。それにはどこまでが許される行動で、どこからが許されない行動かをよく把握しなければならない。自分のコントロールできる範囲を把握していないとこれはできない。やはり頭が良く、よく調査しているのだろう。

長くなってしまったが以上のことから、堀江氏はなかなかできる人物だ、と主張したい。というのは、彼の頭の中には大きな筋道があり、現段階で自分が何をすべきか、ということを自分なりに把握しているからだ。以前と較べて流入する情報減った環境で、自分の状況を把握し続けるということは非常に難しく、彼の能力は特筆すべきだと感じている。

世の中にはいろんな人がいるものだ

似たようなことを考える人がいるものだ。

まさか自分以外にチームパシュートがIGPXと似ていると考えているなんて。それも自分よりも先に。

世の中にはいろんな人がいるものだ

似たようなことを考える人がいるものだ。

まさか自分以外にチームパシュートがIGPXと似ていると考えているなんて。それも自分よりも先に。

性格の違い?

友人の結婚式に行ってきた。新郎、新婦ともに幸せそうだった。両方ともそれなりにハイテンションだったため、幸せになるためにはハイテンションになる必要があるのかと悩んでしまった。

いや、自分はハイテンションになるのは余り好きではないのだが・・・まぁ、一つのサンプルとして記録だけはしておこう。

あの二人に幸あらんことを

証拠品「堀江氏のメール」は信頼できるものか、今は疑問

ここのところ堀江氏のメールで騒がれています。こんなメールを送った。そういうなら証拠を見せろ。一方的にガセネタだといわずにとりあえずまぁ信じろ。となかなか日本固有の押し問答が続いています。

それについて思うところがあります。

http://www.dpj.or.jp/news/200602/20060217_15noda.htmlよりメールのpdfファイルを見ました。

そこにはX-Sender, X-Mailer, Date, To, From, Subjectのみが書いてあります。証拠品として提出す得る場合はヘッダ情報は記載しないのでしょうか。それがあればISPに協力要請して、堀江氏のアカウントからのメールかが判断できるでしょうに。

もっとも、堀江氏のマシンから彼のアカウントを使ってメールが送信されていたとしても、それが即「堀江氏がそのメールを送信した」という判断は下せません。彼以外に彼のアカウント設定を使える人物がいるかもしれないからです。堀江氏がそのメールを送ったという確証を得るためには、堀江氏本人のノートパソコンの設定とかも調べる必要があるでしょう。

僕が思うに、堀江氏がそのメールを送ったと証明するためには

  • メールのヘッダーをすべて公開すること
  • 該当ISP業者が協力して、送信メールのアカウントの持ち主を特定すること
  • 堀江氏のマシン環境を吟味し、彼だけが当該アカウントを使用したメールの送信ができることを示すこと

    この3点が必要だと思います。それが無いうちは水掛け論でしょう。見る価値もありません。コメディとしてみるなら別ですが。それも笑えない3流の。

  • オリンピックでメダルを取るかなんて興味ない

    なんか「日本勢がメダルを取れない」と騒いでいるらしい。そんなこと知ったことか。メダルなんて取れなくても何も問題ない。正直、メダルは要らない。興味がないから。

    どちらかというと、オリンピックでの競技者のテクニックを見たい。オリンピックというアスリートが真剣になるところで、容赦ないプレイが見たい。ドーピングまがい(ドーピングはひっかかればクロだが)の、ルールの隙間を突くような、選手・コーチの工夫が見たい。そのためなら、クロスカントリーにあったようなルール改正すら面白い。勝つために、ルールすら変えてしまうのだ。なんという頭の良さだろうか。ということで、トリノオリンピックメダル争奪戦は開会式前から始まっていたのだ。

    そういえばもう一つ楽しみがある。散々メディアがメダルと煽ってきたところで、一つもメダルを獲得できなかった場合のことを想像するとワクワクする。どんな寒いセリフを吐いてくれるのだろうか。想像するだけで心躍る。

    それはそうと、選手には最高のプレーを期待している。どこの国の選手でも、良いプレーを見せてもらえば、目を見張る。無駄のない動きでいつも目を奪われる。それだけで十分楽しい。

    スピードスケート/パシュートはIGPXへシフト?

    今回のトリノオリンピックから"スケート・団体追い抜き(パシュート)"という競技が行われる。で、初めての競技だから日本にもメダルのチャンスがあるらしい。

    ところで、"スケート・団体追い抜き"という競技はなにか。どうやら「3人1チームで早く滑ったチームの勝ち」という競技のようだ。

    東奥日報によれば

    2005年11月7日(月) 東奥日報 ニュース百科

    ■ 団体追い抜き

    トリノ五輪で初めて実施されるスピードスケート唯一の団体種目。3人でチームを編成し、空気抵抗の大きい先頭を入れ替わりながら男子はリンクを8周、女子は6周する。3人のうちで最後にゴールした選手のタイムが採用されるため、個人の力量とともにチームワークも要求される。



    とある。他には個人の日記(2004/02/28)にも紹介されている。

    これらの情報を見ていうちに、IGPXに似ているな、と思いだした。3人チームによる同時滑走、チームワーク、ブレードを使った高速スケーティング。あとは滑走している相手チームへの攻撃が認められれば完璧だが、まだルール上攻撃は認められていない。非常に残念だ。幸いなことに足にはブレードがあるので、これを利用しない手は無いだろう。是非にも検討してほしい。

    IGPXがショーレースであるように、オリンピックもストイックな競技種目からショーレースにシフトしているとも見ることができる、のか。

    残念なのは、人間では変形できないことだ。IGPXなら変形によって更に高速滑走を狙うこともできる。まぁ、一部からは既に変形しているという意見もあるが。

    つまり、「IGPXと団体追い抜きって似てね?」ということがこの文章の主張のようだ。

    blogはアウトプットの練習の場

    インターネットの発達により、個人が比較的手軽に情報を発信できるようになった。TV、新聞などにメディアが限られていた時代とは大きく変わり、我々個人にとって便利になった。

    比較的手軽に情報発信できる状況を生かし、自分の意見、知識をWeb上に発信しつづけてきた人は大勢いる。そして自分たちはその発信された情報の恩恵を被っている。

    ところで、自分は情報を発信することが好きではない。情報を収集するのは好きだが。だから、「比較的手軽に情報発信できるようになった」と言われる今日でも自分からは情報発信しようという気がない。今書いているのは、熱病みたいなものだ。

    さて、どうして書きたくないのか。書きたい事柄がない。これに尽きる。仮に書いたとしても、後で読み返してみると想定したレベルに達していないことばかりだからだ。

    書きたいことがないのは自分の好奇心が足りない生なのかもしれない。一応インプットには興味はあるのだが、アウトプットに関しての興味がない。社会における書類、文書の重要性が増えることにつれて、アウトプットの技能はこれからさらに必要となるだろう。だから、その練習をしておかないといけない。blogはよいアウトプット練習の教材になるだろう。

    書いてみても想定したレベルに達していないというのは、ある意味仕方の無いことだろう。アウトプットの経験が少なすぎるため、どのようにやればよいのかが分からないのだろう。そのため、まず理想とするアウトプットのモデルもはっきりとさせる必要がある。理想が決まらないと、守るべき自分のスタイルも決めれないからだ。

    つまり、自分は情報発信したくないと言ってきたが、「アウトプットの練習不足」に主な原因があるらしい。こういった能力の問題ならある程度までは訓練で矯正可能だろう。

    とりあえず、興味のある内容をインプットしまくって、駄作でもよいから、アウトプットの練習を数多く行う。これしかないだろう。

    blogを書こうと思ったときに思ったこと

    自分は対人関係がサッパリな人間だ。言葉を額面通りにしか受け取らず、言外に込められた人のいいたいことをロクに受信することもできない。どうやら自分は人としてなにか大事なものを置き忘れてきたようだ。例えば、対面しての打ち合わせではこんな問題がある。

    自分が相手に何かを伝えようとすると、用件の説明、質問されたことに対してまっすぐに答え(適切な質問だったかなんて意識しない)、やるべきことの確認。以上で全会話が終了する。それ以外に話すことは無い。

    対して、他人から自分に話しかけられることは、字面通りのものしか受け付けない。相手の行間を読み、それに沿った受け答えなどはまずできないし、やらない。ストレートにコミュニケーションをしてこない相手側の責任ということで、間違った質問に対する回答も出せない場合、自分は「理解できません。」としか答えない。

    ま、「ストレートに要求してきて、その要求を考えるべきという条件がそろわなければ無視」という(リアルでも)ダメな姿勢が如実に表れている。この文章を見て、自分の姿勢を反省しよう。

    そのような自分だが、blogでは自分から情報を発信しなければならない。(べつに強制ではないが、自分から情報を発信しなければこのサービスを使うメリットがない。)

    自分から情報発信する際には、自ずと自分の情報についても意図していない範囲まで垂れ流されていることがある。自分にはこれは恐怖だ。自分の把握している限り(範囲)での個人情報流出はまだ我慢できる。自分の納得の上での行為だから。しかし、自分が意図した以上に個人情報が流れた場合は嬉しくない。できることならそれら関連記事をすべて削除したい。おそらくそんなことは不可能なのだろうが。

    こんなことを考えている自分は自意識過剰なのかもしれない。それでも文書を、ひいては自分の(抽象的な)思考を相手に日本語という下位共通言語で表現し、それを受け取ってもらい、意図したように咀嚼してもらうには余りにもハードルが多すぎる。このデータのやり取り方法ではいくらか情報の伝達ミスがあると考えたほうが合理的なのだろう。

    自分の意図した範囲以上い情報が流出するであろうこと、文字媒体のみでのやりとりでは情報伝達ミスがある現状があるにせよ、僕はblogをはじめとしたこの文字の力に頼らなくてはいけない。だから、それらを乗り越える為、それらとうまくやっていくためににblogをうまく使えたらいいな、と思う。

    魔が差したんです

    何に浮かれてか、ブログに手を出してしまった。

    ブログがどんな世界かは分からない。面白いものの様には余り見えない。でも、つまらないもなののかも分からない。だから自分の身をもって体験してみよう。そしてつまらないものならば、自分で見きりをつけようと思う。

    まぁ、そういうわけで、(これを読んで下さるような奇特な方がいらっしゃったら)よろしくお願いします。更に、「こうするといいかもよ」とかアドバイスくれるような物好きがいらっしゃったら是非教えてください。

    以上、よろしくお願いします。

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