中庸が目標

日記系になるのだろうか。予定は未定。 発言したいときには発言できないと。

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軸のブレた話

久しぶりに久しぶりですが、ちょっと思ったことでもつらつらと。

なんか予算不足で予定していたやりくりが出来そうもない様子ですね。 最近久しぶりにテレビを見て、そんなことを知りました。 見ながら、 資料 を読みながら、

食べるものがないならなら間引きすればいいのに

とか思った僕は死刑ですかそうですか。

日本での死亡率や死亡数のグラフの形が、昭和22年のものと平成に入ってからのものとでは随分と違いますね。 昭和22年のデータを基準として考えてみました。

死亡率のグラフに関して言えば、男女ともに生まれた瞬間から随分と生き残るようになりましたね。 同ページのコメント通りの様です。そのコメントの比較対象は平成12年のものですが。

男女ともおおむね100歳以上を除くほとんどの年齢で改善されている

死亡率は一桁ほど落ちてますね。

死亡数に関して言えば、分布が変わってしまいました。 ピークが一個消えてしまいました。 フィッティングする関数で、20-30代のブロードなピークに対応させる項を追加すべきか悩みます。 そんなレベルです。

続く生存数のグラフも随分右にシフトするようになりましたね。 まぁ、これらのグラフ全部割合なんですが。 その人間全員に費用を充てようと考えると、まずは人数をはじき出すのに、分布階級の人数に上記の生存数(という割合)を乗じなければいけないんですが。

そんな感じで、実際の人数でどうなんでしょうね? あ、人口ピラミッド見たい。 あったあった、ありました。 これで何がしたかったかというと、(全員生き残るという前提で)今年一年どれだけの費用を国が負担する必要がありそうか、を見積もれるだろうな、と。 男女それぞれ(上から三角形、長方形、台形の)3つのエリアに分けて面積を概算する目処がたったので満足しました。

まぁ、途中で死んだら国的には負担しなくて良いので「儲けた」と考えてもらいましょう。 機会費用を皮算用して「税収が減った」と嘆くかは、その死んだ人の収入次第ということで。 その算出方法自体も怪しくなってきましたね。

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ええと、こんなことをしたかった訳ではありません。 いや、数字をいじるのは嫌いではないのですが、そこは今日のメインではなく。

人口を半分くらいに減らせませんかね?年齢問わず。 お金が足りないから(国的な意味で)。 人を扶養するのもけっこうかかるものですしね。 そろそろ企業だけではなく、国が早期退職者を募集してもイイ頃だと思うんですよ。人生の。

まずは希望者を優先的に処理してあげて、目標数に達しなかった場合は、仕分け作業に入ります。 最初のスクリーニングではやっぱり 「どれだけ経済的に消費行動をしたか」かつ「その財政活動を維持できる年数の期待値」でしょう。 今の問題は国家財政がまわっていかないことだから。 「老人が多すぎる。邪魔だ」ということが理由なら年齢別に消毒していって良いのですが。 そんなわけで消費行動でフィルタをかけて、

レンホー「あなたが生存することで当該国に与えられるメリットを示してください」

とか聞いて「廃止」「縮小」とかしたらちょっと事態が変わるかも知れません。 反応としては

  • レンホーかわいいよレンホー
  • ('A`)「・・・」
  • 私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ。
  • ちょっwwうぇうぇっw

とかあっておもしろいかも知れません。 ちょっと背中を押してあげるだけで、新しい一歩が踏み出せるかもしれません。 新しい年、新しい自分にチャレンジ!!

処理施設として安楽死施設とか作ってくれるとありがたいですね。 しかしそれでは国として、為政者=経営者としは嬉しくないですね。 その血の最後の一滴、断末魔の苦悶までもが国の経済活動に寄与してもらわないと。 とすると、簡単なのは臓器として売り出すことですか。 もしくは何かしらの労働力。 本人達にこれ以上活動する意志がないことは早期退職者募集にて明らかなので、生体的に何か仕組みを作らなければなりません。 しかし、エネルギー的に収支がとれるものでしょうか。まだまだSFの域を出ませんね。 ということで、やっぱり臓器売買が主流ですかね。 人身売買は大口の顧客がちょっと思いつけません。 あとはスナッフとかへの出演、もしくは体験ツアーでの材料でしょうか。 でもこのあたりはトータルの収入にくらべた割合は少ないかなぁ。一部熱狂的なマニアが大金使ってくれればよいのですが。 あとはそういった施設のメンテナンス費用も別途かかりますか。頭の痛い話です。

そんなわけで早いところ不良債権を処理するに限ります。 結構本気です。 当然自分は処理される側です。

生きることを第1の目標とおいていませんから。何事にも優先するモノとして扱えてませんから。 だからといってそこで「じゃぁ、今すぐ死ねよ」というのは推論の誤謬というやつですよ。 ヒューリスティックだけでは論理的頑強性を満足させることは出来ませんからね。

さて・・・何でこんなコトを書いているんでしょう。 まだ外界に期待しているのでしょうか。 なにか外から働きかけてくれるとでも?いやそれは考えずづらい。いままでの経験をもとに考えると。 しかし、こんな作業をしてエネルギーを割くからには、その行動自体に価値を見いだすか、 その行動を投資として何かしらのリターンを期待しないと話にならないわけです。 はて。

自分が何かに期待していると仮定できたとして、何を期待しているのでしょうか? 期待できる何かがあるとしたら、何に期待する、期待出来うるでしょうか。

  • モノ
  • コト
  • 考え方

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それにしても、僕がこんなコトを書いていますが、それが原因でどっかから荒らされて精神状態が悪化したらどうなるんでしょう? なにか方策はあるものでしょうか?

まぁ、実害ないですからね。 荒らされても。 荒らすモノも自体が無いですし。

むしろ好都合かも。 病状が悪化してI can fly!なんて出来ればそれこそ早期退職、人生の勝ち組じゃないですか。 アーリーリタイアメントなんて。 そうすれば世にまつわるコトのせいで悶々とする日々から脱却できましょう。 そして、万が一コトが表沙汰になっても、「荒らしが引き金になった」という解釈が成り立ちうる時系列の順番が成り立ち得ますからね。 因果関係の成立じゃないですよ?ここ大事なのでテストにでます。

まぁ、なんだかんだいって、その荒らしを受ける元である外界を重要視していなければ、なにをされても関係ないはずですからね。 どうでもいいんですよ。 自分とはわかり合えない、と達観した人から見れば。 それと同時に、外界にとっても自分のような存在は在ろうが無かろうが違いの無いモノというくらいの認識しか無いはずです。 ま、そんなもんですよね。

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ゆりもどし

今日は面白い話を聞きました。 それを書こうと思います。 日本企業はこれからゆりもどすのではないか、と。 そして日本の方々は、また「会社村の住人」になるのではないか、と。

その視点でのシナリオは面白いです。 この10年で結構な数の社員が退社されてますからね。 「成果主義で成功してみせる」といい昔の会社村から出て行った人、 「ハケンで自分らしく生きて行きたい」と正社員の重責から逃れた人、 相変わらず会社村に居たかったのに会社の都合で扶養できなくなった人、がいるでしょう。 このように出発して会社村の正社員さんではなくなった方々の中には、将来の不安がある人がいると思います。 それもとても近い将来の経済的な不安が。 会社の業績が悪いと減給されてしまうから、契約更新がなくなるから。 能力給として、基本給では生活できない賃金体系にされてしまうから。

近い将来の経済的な不安を解消するために、人はどう動けるか? こんなところですかね。

  • 動く
    • 自分で動く
      • 貯金する?
    • 人が動くよう働きかける
      • 知人に頼む
        • 会社とか?
      • 知らない人に頼む
        • 政府とか?
  • 待つ(動かない)
    • 耐える
    • 耐え切れずバッドエンド

話としては簡単です。 3つの選択肢での消去法ですから。

まず政府補助での安心を消去しましょう。 政府は日本全体での景気回復を期待します。 そのためには赤字国債であっても行なう場合があります。 しかしそれは日本全体で金回りを良くするだけであって、該当する「私」に直接援助してくれる訳ではないのです。 また、万が一、その「私」に援助を行なう場合には、他にも等しいと考えられる対象者にも援助しなければならないと国は考えているようです。 そうでなくては、平等、公平という価値観にそぐわないのでしょう。 ということで、国が「私」のために集中して経済的援助してくれるとは考えにくいのです。 そういった事情を考えて働き掛けていないのか、もしくは国に働きかけるという方法を考えていないのかもしれません。 お願いすることは考えてはいても、どうやればその援助が達成できるかという算段がついてないのでしょう。

次に「自分で動く」という案を消去しましょう。 これは簡単です。 自分で動くことができていれば、今現在もしくは近い将来に経済的な不安を抱えることはないでしょうから。 差し迫った問題として。 逆説的ですが、このような問題に直面した人は「自分で動く」という選択肢を列挙できても選択できない状態のはずです。 よってこの案は消去。

というわけで「会社に頼る」という選択肢が残ります。 この方法であれば、「私」に集中して経済的援助が得られる可能性があります。 会社の業績が良ければそうなるかもしれないからです。 国全体、世界全体の景気が良くなる必要はありません。 属している会社だけで良いのです。 日本の総人口をに対して供給される対象者がどれだけか、という視点ではこれで集中しているのです。 また企業としての業績さえ良ければ自分の目的は達成されるはずですから、国の財政と比べても、フィードバックのテンポは早くなるでしょう。 「私」にとって、そのほうが嬉しいはずです。 明日の百より今日の五十ですから。

そういう人達が集まるのは、「会社で保護します」という会社になるのでしょう。 集まるというか集められるというか流れてくるというか。

現在でもそういう機能を持った会社で続けようとする長もいるでしょう。 いっぱいいっぱいで今がまさに正念場の人もいれば、もう弾けた人もいるでしょうし、もう少し先を心配している人もいるでしょう。 もうすぐ底を打ってくれると良いのですが。 在庫が減っているという楽観的な指標通りに。

さて、僕はどこにいるでしょうか。

妄想

第95回 (2008年8月26日放送) NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 を見た。 光デバイスをあつかう、科学者・小池康博氏だった。 まぁ、番組の方針が方針なので、それには触れないでおく。 むしろ興味を持ったのは、その研究によって得られた、もしくは得られるであろう物体の利用法。 本職の専門分野ではないながら、学会誌などで光回路設計などの講座をちょこちょこ勉強していたので、それなりに興味を持ってはいる。

現在光伝達に利用されている光の波長は650nmが主流だとか。 この波長は、最近の光触媒で、やっと反応がおこせる領域になってきたところだ。産総研だったか。 やっとここまで長波長でも反応を起こせるようになってきた。 うまく光をガイドしてやれば、本来光が到達しない場所においても、光触媒反応に必要な条件を提供することも可能になりうる。

また、エネルギーギャップを意図的に広くとることで、高周波側の光をそこで遮断してしまう、という利用法も考えられているとか。 これは、輻射伝熱におけるボルツマン係数の低減を意味する。 可視光としての光は通すが、(輻射)伝熱手段としての光を一部カットする。mp3チックな周波数でのフィルタリングだ。 そういった利用法も考えられる。 たとえば、開放感あるショッピングモールなどにも利用可能であろう。 もっとも、熱量が欲しい冬場には別の窓が必要になるが。 反対に夏場だけその処理を施された窓を乗っければよい、のかな。 プラスチックだから、落下しても潰された人間が死ぬだけで、割れて被害が広がるリスクはガラスよりも少ないだろうから。 比強度で比べたら、ガラスよりもプラスチックの方が値は大きいだろう、という予想のもとで。 利用可能な同価格帯、同コスト、という前提において。 実用化には、表面加工が必要だろう。その際、透過率の維持と、環境の経時変化に対するサステナビリティ(持続性)の確保が必要条件だ。

あと、興味があったのは、照射されたレーザーによって多重錯乱を行なうプラスチックの利用法だ。 レーザーでそのプラスチック片を一部分照射しただけなのに、そのプラスチック全体が発光しだした。 で、レーザー照射をやめると、プラスチックの発光も止まる。 これは多重散乱を利用している、とのことだった。 まぁ、核分裂反応と同じだろうと理解している。 もしこれができるのならば、ひとつ、バイオリアクターにこのプラスチックを利用したい。 もっとも、光合成はどの波長帯でおこなわれるのか、という調査を行えてないが。 …と調べてみたが、偶然にも 光合成に有効な太陽光の波長域にて

光合成に有効な波長域は450nm±50nm, 680nm±30nm, 太陽光エネルギーの19%にあたる

と書いてはある。(Brooksによる太陽放射エネルギーの波長別強度分布、によるらしい) だから650nmというのも一応の許容範囲、というこになるのかな。 上記ページの記述が自分の意図と合っているならば。

いや、しかしこれは僕が望んでいるデータではないな。 ある特定の波長光源を利用して光合成を行なった場合、太陽光の白色光源を用いた場合の光合成によって生成されるエネルギーの何パーセントが得られるか、を知りたいのだから。 その関係を、関数を、フィッティングで良いから欲しいのだから。 上記データでは放射強度と右側の…うーん、これか? 左側の放射強度はエネルギーフラックスをcmで割った形となる。それもSI単位系にcgs単位系という不思議な組み合わせだ。カイザーだからか? 対して右側のμcal cm^{-2} min^{-1} cm^{-1}というのはcgs単位系による、エネルギーフラックスをcmで除したものだ。 なぜ両側ともcmで除すのかは理解できない。自身の勉強が足りないことが悔やまれる。 まてよ…ある一定体積で考えようとしているのだろうか。それではスケール効果がでてしまう。 まぁこの件は保留。

このような多重散乱が可能ならば、光通り道を投影したいエリア以上に狭くするすることも可能だろう。 そして、最終的に発光したい領域が何かしらの理由で電子デバイスを利用できない環境であっても。 もっともポテンシャル変動による影響は流石に免れ得ないだろうが。

思ったのだが、多重散乱理論では、ポテンシャルの周期要素と非周期要素とを分離して考える。 まぁ数学的に扱いやすいからだ。 ところで、その部品の生成過程においてレーザー照射などのポテンシャルの励起を外部要因としてインプットすればどうなるだろうか。 やはり散乱により、エネルギー的に安定な状態へと、可能なかぎり周期的な構造へと以降するのだろうか。 もしそうなら、プラスチック製品に精度の高い空間周期的構造が必要ならばそのプロセスも考えられるだろう。 …まぁ、相手もバカじゃないからそれくらいは考えているだろうな。

"Fiber to the Display"という提案があるが、これがあり、なおかつ、光フォトニクス(光コンピューティング)も適用されれば、これは脱電子制御装置となる。 発熱が減るかもしれない。 自身の所有物のオーダーなら、mオーダーなら、減衰率の高いプラスチック性の部品を使ってもいいんじゃないかな。 そういうチップもモジュール化できると良いのだが。 もしIPS(Instructions Per Second)が1000倍に上がったとしたら、VMなんかも余裕で使えそうな気もする。 もしくは、もっと原始的にFPGAとか作ることができないかしら。

という妄想でした。 はい。

混沌と秩序

混沌と秩序とでの揺り返しで、世界は、いや、自分は、あちらにこちらにと、流される。 何かあるらしいが、自分が分類できない状況、というのは、「混沌」と認識している。 対して、何かしらの分類方法を天下り的に与えられ、それに従って認識した世界を分類したときに、自分は一種の「秩序」を得たと感ずる。 この際、錯覚であろうが誤解であろうが関係ない。 自身がそのように感じたからだ。 後の自分が、「やっぱり納得いかねー」ということも十分に起こる。

さて、どうして自分は、天下りてきに分類方法を受け入れるのか。 それは、自分が、本質を理解していないからだ。 ここでいう「本質」という言葉には「正解」という意味を含ませる。 自分の好みの言い方ではないが。 そして、「正解」という語には「正解は無いものだよ。自分の好きにすれば良い」というのも正解である、という意味の可能性も持たせる。 自分はそれを納得はしないが。 なぜなら、それは納得しない自分に何も有益な情報を提供しないからだ。 もちろん、情報を活かせるようになるまでには、それに適した時期というものがある。 それに適した使い手の熟練度、というものがある。

例えば、現在の要素還元主義を用いた科学的手法というのは、多段の構造を仮定して、より基本的な単位のモノによる振舞いを理解できれば、それから成る集合体の振舞いも説明できる。というものだ。 これを見る限り、この手法は「秩序」を与えようとしている。

では、これに対する方法として、「混沌」を利用した現象理解の方法とは無いのだろうか。 残念ながら、今までの僕の知識では知らない。 でも、本当はあるのかもしれない。 しかし、仮にそのような手法があるとしても、上記のような「混沌」と「秩序」とで分類された手法を使おうとしている時点で、それは「秩序」だった手法選択をしていることになる。 結果としてだが、そのような理解ができるからだ。 分類したがる人がいれば、の話だが。 おそらく、認識している世界が異なる他人とは、秩序としての論理を用いてしか、今のところ、本意にしろ不本意にしろ、合意に達することができないのであろう。

ひょっとしたら、「混沌」は、ある種宗教や会話などの、「科学」と考えられていない領域では機能しているのかもしれない。

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良く、「言葉は有限である」と考えられている。しかし、自分は「言葉は無限である」と主張したい。 確かに表記される言葉は、単位文字の組み合せによって構成される。 単位文字の数が決まっており、その長さも有限である以上、それで構成される言葉の組み合せは有限ではある。 しかし、ここで新たに考慮にいれなければならない項目がある。「文脈」だ。 それは状況でもいい。発信者の状況。受信者の状況。 そして、その情報伝達の形態。直接なのか伝達なのか。 また、伝達であった場合、中継地点でどのようなフィルタリングが行われたのか。 少なくともこれらの要素を検討しないで、言葉の持つ意味を、メッセージを発信者の意図通りに解釈しようとするのは、あまりにも危険だ。 自分は無謀とすら考えている。

発信者、受信者の状況というのには、それぞれの世界認識のパターン、熟練度、というのも含まれている。 彼らが、自分の世界認識方法をとらえているのか。 そして、相手の世界認識方法を予想しているのか。相手の力量をどの程度と見積っているのか。 これだけでも難問だ。 彼等が、何層の入れ子の認識世界を予想しているのか。 これは予想するだけで、なかなかフィードバックできることはない。 気付けてた方は自分で気付くだけで、気付けなかった方に敢えて助言することは少ないだろうから。 そして、仮に助言された方も、助言されただけで、それだけの視野を得ることはすぐにはできないだろうから。

目標

先日、

3年後の目標は? 10年後の目標は?

と友人と話していたのだが、答えられなかった。 日頃からあれこれ考えていたつもりだったのだが、いざその場で即答できなかったことに、少なからぬショックを覚えた。

自分はこの3年後、10年後の目標を持つには、自分の人生の目標がなければ持てない、と考えている。 その人生の目標とは何か。 よく言われるのは

  • 自分の葬式で、皆にどのように言われたいですか?
  • 余命1年だとしたら、何をしたいですか?

などがある。 残念ながら、どれもヒットしない。

まず、自分の葬式は行われないことを望む。 自分という存在がそもそも無かった、という風に認識されていることを望む。 その人の死を認識されるということは、その人の存在を他の人が認識していた、ということだからだ。 そして、その自分の死を通して、他人に建設的な行動を促せる例を寡聞にして知らない。 自分は、やるなら効率的に、"Do more with less"。 他人の行動へと働きかけることができるのなら、それも例外ではない。 しかし、自分が死んだ後に他人が無したことを、自分が享受することもできない。 よって、それは意味がない。享受できない(=機能しない)コトを成し遂げても、それはなんの意味もないからだ。自分にとって。

そして、余命1年だったとしたら。 特に何もしない。 今まで通り、本を読み、それを一端自分の思考(フィルタ)を通して、自分なりの解釈をする。 そしてそれを無理矢理アウトプットする。 アウトプットするのは、その行為によって、自分の理解が更に深まるという体験をしたからだ。 その体験をまたしよう、と目論んでいるからだ。 それだけだ。 それ以上に願望は無い。

さて、以上の記述で、自分の人生の目標を現在持っていないことを説明したつもりだ。 まだ、他にも目的へのアプローチ方法はあるだろう。 それは自分の勉強不足ゆえにまだ知らないのだろう。 そのような別のアプローチ方法を知っていて、このようなニートをいじることに興味のある暇人は、コメントしてみるといいよ。 べつにメールでもいいけどね。

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良く分からないが、とりあえず動いてみる。 それで、ある程度時間を過ごしてみて、自分の認識できる世界を広げ、またその都度軌道修正してみる。 そのような方法もあるだろう。 一歩間違えれば、ひたすら走り続けるネズミになるが。 まぁ、本人がそれで良いのならそれで良いのだろう。 僕に関係のある話ではない。 確かにこれはGTD的な手法ではある。 しかし、GTDでもパースペクティブという一貫性が求められている。 それはそれぞれの高度でのオープンループの目的が一致しているか。 より高い視点で見たときの目的に貢献できるようなプロジェクト・タスクを設定しているか。 ということだ。 それでなければ、いくら能率的にtodoをこなしていったところで、自分の求める状況には近づけない。

という頭でっかちな独白でした。

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